对于遣唐使山上忆良的探讨/遣唐使山上憶良に関する探讨
摘 要
701年,具有深厚汉文学素养的山上忆良被选为日本第七次遣唐的随行记录官。虽然初次渡唐因海上的狂风暴雨而失败,山上忆良一行等待一年后再度出发。年过四十的山上忆良充满着对唐艺术的渴求之情,在唐期间努力学习大唐艺术,吸收了儒教和佛教的思想。回日本后,山上忆良将其所学应用在了和歌的创作中,其作用在日本文学史上留下了重要的一笔。本文通过山上忆良渡唐经历及其文学著作的略论,探讨了山上忆良如何受到唐艺术的熏陶与作用以及山上忆良回国后的创作活动对日本文学产生的作用,日语毕业论文,从而提出自己对于遣唐使山上忆良这一人物的见解。
关键词:山上忆良 遣唐使 唐艺术吸收 日本文学
要 旨
山上憶良は大宝元年無位無官にして遣唐少録に抜擢され、701年夏に出帆したものの、風浪に妨げられて渡海に失敗した。翌年、遣唐使一行は五島列島から一気に東シナ海へ向かう「南路」をとって成功した。彼は唐で新知識を身につける意欲に燃えて勉強していた。慶雲元年(704)遣唐使の第一次帰国に伴い、帰国した。彼の著作は、苦しい生活体験や妻子に対する愛情を題材とし、他の万葉歌人には見られない仏教思想の影響が見られる。本文は先行探讨を踏まえながら、山上憶良の渡唐と歌作の略论によって、唐艺术が彼に与えた影響と彼の日本文学に対する影響について、自分なりの考えを述べてみたいと思う。
キーワード: 山上憶良 遣唐使 唐艺术受容 日本文学
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