この研究は近代の韓国語に受容された日本語語彙の研究の一つとして、大韓帝國『官報』に受容された日本語語彙について考察したのである。韓国で『官報』... この研究は近代の韓国語に受容された日本語語彙の研究の一つとして、大韓帝國『官報』に受容された日本語語彙について考察したのである。韓国で『官報』が発行されたのは、1984年6月からであるが、発行された時期と主体により、三つに分けて考えられる。日本に国権を奪われるまで、旧韓国政府(1894年6月から1910年)が発行した大韓帝國『官報』と、もう一つは日本の植民地であった36年間、朝鮮總督府が発行した朝鮮總督府「官報」がある。そして、日本の植民地から解放された、1948年9月1日から大韓民国政府が発行した「官報」があるが、本稿で扱っているのは大韓帝國の時期に発刊された『官報』である。 大韓帝國『官報』を研究する目的は、『官報』の資料性のためである。「官報」は国家の各種の法令、または予算、新しい政府の装置の発表、官吏の叙任及び辞令、外国との条約事項、各種官庁の措置を告示する。「官報」には当時、中央の官庁が下の官庁と一般の人たちへ告示する際に使われた語彙がすべて網羅されている。実際に大韓帝國の時期に発行された『官報』には、甲午改革以降から韓国が日本の植民地になるまで、16年二ヶ月間に渡っての韓国の近代の法令類が載っている。当時の常況を理解するためには『官報』は重要な記録であり、当時の朝鮮の政治、行政、人事、軍事、外交、学事、司法、警察、産業、財政、交通、衛生、気象、外国の記事など、各分野がすべて載っているので、公文書での多様な語彙の出現と受容の課程を考察するには、重要な資料であると思われる。公文書である「官報」に告示された語彙は中央の政府はもちろん、地方の官庁まで伝われるので、その波及効果は相当なものである。また、「官報」に告示された内容は法学的な効力を持つ。もう一つ、注目すべきところは大韓帝國『官報』が最初は純漢文体であったが、漸次的に漢文混淆文(国語漢文混用文)で発行されたことである。大韓帝國『官報』を研究する二つ目の目的は近代の韓国語に入った日本語の流入ルートを明らかにすることである。近代の韓国語には多数の日本語の語彙が受容されているが、その主な流入ルートは、李漢燮(2003)によると、外交使節の記録、日本に亡命した人たちの記録、新聞(官報)、雑誌、日本の留学生、旧韓国政府に雇聘された日本人の顧問官、韓国に居住している日本人である。その中でも『官報』は重要な流入ルートであると思われる。大韓帝國『官報』に受容された日本語語彙数を調査した結果、大韓帝國『官報』には1,967個の単語が使用された。この結果からみると、大韓帝國『官報』は近代の韓国語に日本語の語彙を受け入れた主な流入ルートであったことが確認できた。大韓帝國『官報』に受容された日本語語彙の語種には漢字語が圧倒的に多かった。その次が固有日本語、外来語、混種語の順である。また、大韓帝國『官報』に受容された日本語語彙は一部の西洋外来語を除いては、大体漢字表記語である。このように漢字は日本語語彙を韓国に導入するにおいて、重要な役割をしたのである。大韓帝國『官報』に受容された単語の中で漢字で表記されたのは、語種に関係なく、全部韓国の漢字音で読まれた可能性が高い。近代の韓国語の語彙の成立には様々な要素が複雑に絡まっている。最初は中国の影響を受けたが、1890年代以降には、日本語の影響が大きかった。この意味で大韓帝國『官報』は、韓国の近代語彙の成立問題の研究に重要な価値があると思われる。大韓帝國『官報』の作成に参加した韓国人の性格と日本人の役割を究明することができると、『官報』に受容された日本語語彙の流入ルートを正確に把握することができると思われる。今後、今回の論文が残した課題を補いながら『官報』についての研究を続けて、大韓帝國『官報』が近代の韓国語の語彙の成立に及ぼした影響を明らかにしたい。 ,韩语毕业论文,韩语论文题目 |