序論 日本の民間では、妖怪についての物語がたくさんある。これは、島国で生活している日本人は心の中ではある神秘的な考えに傾いているからであると思う。何事に対してもまじめな日本人は、いろいろな妖怪を特性によって分類している。図書館には、精緻で美しいイラストレーションが入っている「日本妖怪の物語」、「日本の妖怪大全」などのような厚い図書は、あちらこちらに見られる。 「それぞれの文化には特徴がある、例えばヨーロッパの妖怪はデビルやサタンをベースにした悪者のものが多い。ヨーロッパでは善と悪、神と悪がはっきり区別されているので、神ではない未知なるものは悪となってしまうのである。それに対して日本の妖怪は、ご存知のとおり八百万(やおよろず)の神である。菅原道真(すがわらのみちざね)注1のような怨霊も祀(まつ)ると神になって、私達を守ってくれる。必ずしも善悪で分けられない、両面性を持った、むしろ人間的な存在といえる。」注2[7] 妖怪は人の魂と違い、人を惑わす存在でありながら畏敬の対象として、時には神様のようになんとも不思議な存在であると言えよう。 日本の妖怪文化は日本文化で、一つのスペシャルな文化である。妖怪文化がすでに日本人の生活の各方面にしみ込んでいる。実は、妖怪文化は日本人の心では言い表わせない気持ちを言い表している。妖怪文化から、いろいろなタブーと習俗が発展してきた。例えば、入院している人に、鉢植えやチューリップなどの花はダメである、刃物を見舞いすることはしてはいけない、家に上がる時敷居を踏んではいけない、などなど、実に多い。 妖怪文化はどんなものであるか、それは社会の発展に対してどのような社会的作用があるか、私は考えてみたいと思う。 本 論 一. 妖怪文化の起源 1.1 妖怪の起源 日本では昔から、自然に対して尊敬して恐れる態度を持っているので、人間は目で見えなくて、手で触れなくて、力でコントロールできないすべてのものを、妖怪と呼んできた。 日本の妖怪の生み出しは、日本の特殊な自然地理の環境と密接な関係がある。日本の地理環境は次のような特色がある。島に生活して、水は日本人の生活と緊密に関連する;日本列島の地形が複雑で、昔から大量の連なった尾根と林があって、野獣がのさばる。それと同時に、自然災害が多くて、地震と火山噴火が頻繁に起きて、気候がよく変化して、いつも台風と津波が生まれる。科学が発達しなかった古代には、日本人がそんなに複雑な地理と自然環境に大きいな恐れが持っていた。日本人は、それに抵抗するのが難しいので、形のない力が自然に存在して、人間に生活をコントロールすると思っている。雷鳴と稲光、洪水、火災などに対しては、合理的な科学の説明がない。長い間に、自然に危惧をもっていたことは、島に生活している日本人に心理的な神秘感をさせている。そこで、妖怪は人間の生活と思想に入ってきた。
1.2 典型的な妖怪 日本の歴史の発展の中に、1000余りの妖怪が出現している。古代に、自然を思想主体にしていた妖怪から、現代に都市生活と幻想科学からしだいに生まれた妖怪まで、精神の面から見れば、妖怪の存在は日本人の慎重な性格と憂いや苦しみの心理を反映している。 1.2.1日本は水域文化の国であり、多くの伝説は水と関係がある。 河童の物語はその例である。伝説の中では、河童は、形は虎に似、くちばしは尖り、身にうろこや甲羅があり、毛髪は少なく、頭上に凹みがあって、少量の水を容れる。その水のある間は陸上でも力強く、他の動物を水中に引き入れて血を吸う。河童の原型はもしかしたら淡水に生活しているワニかもしれない。 1.2.2日本は山がたくさんある国である。 伝説の中では、山に住んでいる妖怪も少なくない。例えば、雪女である。雪国地方の伝説で、大雪の夜などに出るという雪の精である。白い衣を着た女の姿で現れて、山の上の通行人を誘い込む。雪女に惚れ込まれたら、凍死してしまうのである。 だから、最初の民間の物語では、妖怪は形が恐怖で、人間は見ただけで怖くなる。
1.3 妖怪文化の発展 日本の妖怪文化の歴史は、縄文時代にさかのぼる。さまざまの研究資料では、妖怪文化が民俗学と考古学の方面から考えて、縄文文化と密接なつながりをもっている。 平安時代から、日本と中国の文化の付き合いが頻繁になり、遣唐使が中国文化を勉強すると共に、中国の妖怪文化も日本に伝えた。例えば、天狗は、元来中国の妖怪であり、「山海经」が日本に伝わるとともに、日本人に知られるようになった。 日本の歴史では、最初に妖怪が跋扈した時代は、平安時代の末期ごろと思われる。その原因は「苦しい状況の中で、不条理な出来事を説明してくれる存在として、自分の願望を叶えてくれるであろう存在としての妖怪を作り出し、心のよりどころとして苦しい時代を乗り切ろうとした」注3[8]と考えられる。 江戸時代に入ると、日本の妖怪がその黄金期を迎えた。その時代に入り、人々の間に不安感や不透明感が広がった。そこで、庶民たちは、妖怪という物を想像するという楽しみに心のよりどころを見つけて、何とか苦しい時代を乗り切ろうとした。 明治維新後は妖怪の存在を否定する時代になった。昭和30年ごろから、野や山、水辺りに住んでいる妖怪たちは人々の心の中から姿を消した。昭和50年代に入って、都市妖怪伝説が表舞台へ登場した。今に,「平成妖怪全盛期」注4ともいうべき時代が訪れようとする気配をみせている。 1.4 現代の妖怪文化[9] 現代の科学技術の発展につれて、たくさんの自然現象からの妖怪、あるいは人間についての妖怪は、生み出しの条件が少なくなった。しかし、現代の迅速に発展しているメディアは、妖怪文化が続けて発展するのを要求している。漫画、映画、ゲームなどの娯楽活動は、妖怪文化の内容を埋めており、人間の新奇なものを求めたり刺激を追求したりする心理を満足するのである。 現在の妖怪たちは、キャラクター化し、存在意義が少しずつ変化しつつある。しかし、人々は、今の「先行きの見えない、苦しい状況の中」で、再び妖怪や都市伝説に、占いや絵馬に、心のよりどころや指針を求め、苦しい時代を乗り切ろうと願っている。
二. 妖怪文化の思想内容 先人の妖怪観に基づいて考えれば、妖怪は人の魂が変化した幽霊と違い、人を惑わす存在でありながら畏敬の対象として、時には神様ともなるというなんとも不思議な存在であると思われる。 妖怪文化には普通人間の素晴らしい願望を預ける。この思想は、仏教思想と少し似ている。妖怪文化には因果応報という思想が存在している。悪行とか、善行とか、きっとその行為と相応の報いを受けなければならない。その因果応報の思想が存在してこそ、妖怪文化は発展し続ける。 因果応報の起源は善悪思想である。最初から妖怪文化には、自然に順応したものは善であり、これに違反したものは悪であるという思想がある。妖怪文化の発展につれて、善悪思想の範囲はだんだん大きくなった。自然の力を敬い、命を大切に守り、心根が清浄だというようなことは善のことである。これに対して自然を壊し、生き物を殺し、心が悩んで混乱するというようなことは悪のことである。善悪思想によって、因果応報が形成した。 因果応報の説法は、人間にこの一生は善事をして、来世は天国に昇る;この一生は悪事をして、来世は地獄を陥るという倫理的な啓示を与える。因果応報は社会倫理生活にしみ込んでいて、人々には道徳自覚と自律を呼び覚ます。来世に苦しみを受けるということが恐れるため、人間は自分の教養を重視するし、できるだけ徳を積む。それによって、民間の慈善活動と社会公益事業が続けて発展している。 妖怪文化は因果応報思想だけでなく、慈悲思想も含んでいる。妖怪は、人間の心の闇・恐怖心から生れたものである。即ち、暗闇や背後など実際に目に見えないところ、社会に対する不安などが妖怪を生み出す。妖怪が伝わるのは、人間を脅迫するのではなく、人間が慈悲の心を持つようにということを教える。心に慈悲を抱いて、他人に幸せを与えて、他人の苦しみを抜き取るのである。
三. 妖怪文化の社会的作用 妖怪文化の発展につれて、人間は普遍的に妖怪に対して恐れの気持ちをもっている。その原因は: ァ、妖怪の大きな力量を崇拝する。妖怪には形態を変化することができ、ひそかに人間に良いあるいは悪い作用を果たし、人間のできないことを成し遂げるという大きな力量があると人々は思っている。人間はその力量を崇拝する。 ィ、仏教思想によって、人々は地獄の存在を信じている。古代の人々は冥途があると思っていた。不平等な人間社会に、正義がないが、冥途には、必ず公正な裁決が受けられると信じる。因果輪廻の言い方は、人間をびっくりさせるほど見事である。 そこで、妖怪文化は全体の社会に対していろいろな働きがあると思うのである。 3.1 タブー 妖怪が多いので、日本の古代の政府は陰陽師という専門の職業を設立していた。この職務の高貴は、平安時代に最高点に達したそうである。当時の陰陽師の持っている権力が強くて、天皇や将軍の生活にまで介入していた。今日の日本文化の様々のタブーは、その時の産物である。 平安時代から形成したタブーの作用はある程度から言えば、社会的作用である。妖怪文化によるタブーは今でも執行しているのは、実は、伝統の倫理道徳を守っていることである。
3.1.1 人々はタブーを注意して、自分を保護してきた。 タブーは人に危害を加えるなという警告の作用がある。危険と災難を避けるために、タブーは存在のところに、神秘的な雰囲気を作っている。これは、ある非常ベルを連続して鳴らしていると同じように、禁忌のことが絶えず危険な状態を呈するようにするのである。タブーが人々に、嫁取りと嫁入り、出産と葬儀を行ったり、神仏や祖先を祭ったりする時に、注意やヒントを与える。禁じられた事を犯したら、災難を引き起こすと教える。 3.1.2 人間関係を調節して、公共の利益と社会秩序を維持し保護することに、道徳的な規範の作用を発揮している。 人々は往々にして厳格にあるタブーを遵守するのは、環境を改善したり災難を避けたりするいい方法であると思っている。ある程度から言えば、タブーを遵守すれば、人々の団結を促進することができる。それによって、人間は公共の利益を大いに守って、社会秩序を維持する方面で、もっとよい効果を得ることができる。 3.1.3 社会の凝集力を反映している。 タブーの存在は社会存在の必然の要求である。タブーの主題の意義は、思想と行為方面の自由化を反対している。タブーは人間社会の家庭、道徳、宗教、政治、法律などに対して、全部規範の性質を持っている禁制の総来源である。この機能は実は、ある社会の凝集力を体現して、社会的コントロールの作用を発揮することである。 タブーの社会制約の機能と人に対する保護の作用は弁証統一である。この二つは人間の社会生活の秩序の方面において働きを持っている。
3.2 警告 妖怪は怖いながら、伝説の中では、人の命を奪い取るものが少ない。妖怪が出現して人間の生活をかき乱すので、普通人々には災難と同列に扱われてきた。これは、人間は生存環境が脅かされた時、合理的な原因が探し出せなかったら、妖怪についての物語を作って、心の不安と恐れを慰めるわけである。そればかりでなく、自然や神に敬わないことをしたら災難に遭うと、妖怪の言葉などを借りて人々に警告する。そのために、妖怪文化は警告の作用がある。 3.2.1 人間を自己拘束させ、美徳を発揚している。 社会は複雑であり、万華鏡(まんげきょう)のように様々な人がある。人が自分で自分を拘 束することができない場合、法律の手段が用いられるだけでなく、伝統の妖怪文化も、その現象にたいしてある程度の拘束と賞罰がある。 妖怪文化の発展から言えば、鬼や神を信仰しないが、その主旨は同じであ る。即ち、人間には正道を選び、善事をして、心がからりと明るい人柄をもって、悪事をやめるように教育するということである。 日本のホラー映画や物語は妖怪文化から霊感を獲得している。これらの映画と物語は、人に対して悪い事をしてはいけないという警告の作用が発揮できて、妖怪文化の別の表現方式であると言える。 中国の唐朝から、仏教の影響を深く受けて、日本の妖怪文化はとても因果応報を重んじている。ホラー映画や物語もそれを体現している。多くの日本映画は鬼と幽霊を主役にして、そこで最後の結果も善行にはよい報いがあり、悪行には悪い報いがあるというのである。 3.2.2 政治権力を強めて、統治の秩序を保護している。 妖怪文化は深刻な社会根源がある。日本の歴史の発展につれて、その使命も変化している。国家の政治生活にも重要な影響がある。霊魂と神霊の意志は、直接に政治を体現してきた。 階級社会に入って、統治階級は、人間の妖怪に対する畏敬・崇拝の心理を利用して、庶民を統治するし、その統治の合理性を論証するし、各階層の利益を維持していた。ある程度に言えば、妖怪文化は法律、道徳と一緒に社会の発展を守っているのである。
3.3 社会的な処罰 妖怪文化は日本文化の重要な部分として、社会に対する処罰の機能を持って、人間社会が特定の方向に発展することを維持し保護している。 3.3.1 伝統の妖怪文化は、妖怪が人間の心の中の影響の助けを借りて、伝統の倫理道徳を保護する。 日本の妖怪文化は日本文化の一つの核心内容である。妖怪文化は仏教思想と混ぜて、因果応報の言い方があるから、人間は未来の世界に恐れの気持ちを持っている。これも普遍的な社会心理になった。人間はその普遍的な心理に支配されて、伝統道徳に従っている。妖怪は伝統道徳の裁判になっている。悪いことをした人は処罰を受けなければならない。これは、死人だけでなく、生きている人と子孫も悪い報いを受けるのである。実は、心理的な処罰を借りて、社会的教え導きをして、伝統倫理道徳を維持しているのである。 3.3.2 妖怪文化は、鬼文化や仏教と融合して、複雑な社会では一つの恐れるべき力と言える。 妖怪文化は、人間を怖がらせる力がある。鬼と神を畏敬して、信奉している人間は一般的庶民だけではない。妖怪文化は、もう上から下へ、全国民の文化になった。人は、普通人間がこわがらないが、未知の冥途に対しては恐れに満ちる。一つの恐れるべき力としての妖怪文化は、その冥途が恐れる人を、怖がらせ、心配させて、自覚的に、あるいは不自覚的に自分を拘束するようにさせるのである。
3.4 人間の精神的な生活を豊かにする 映画に表したことを例にする。 いろいろな妖怪物語はホラー映画に多大な素材を提供する。視聴覚に、妖怪文化を演繹する。時代の前進につれて、妖怪文化も発展している。緊張な現代生活をこらえている人間には、不満などを漏らすルートを提供する。 御霊(みたま)とは、現世に恨みを抱いて、死んでしまった武将と貴族の霊魂が、来 世に、凶悪な鬼になって、人間に災害と疾病をもたらすということである。だから、人間は災難を避けるために、御霊を祭る。妖怪文化からの御霊は、日本のホラー映画に対する独特な貢献であると言える。 「御霊復讐(みたまふくしゅう)」は、日本のホラー映画では、最も独特な題材である。この題 材は、日本の独特な文化心理を含んでいて、深刻な文化の成因を持っている。日本の芸術史では、「御霊復讐」という題材は、かつて繰り返して提出して、上演していた。しかも、成功を取っていた。この妖怪文化からの題材は、実は、日本の伝統文化と、微妙なつながりを持っている。この題材は、現代のホラー映画には、繰り返して書いている。
妖怪文化はその発展の過程中で、様々な社会的作用をあらわしてきた。総じて言えば、プラスの作用はもっと多い。明確な法律の作用と違って、かたちがない道徳の力を発揮している。
結 論 人間は、身近にある目に見えないもの、未知なるものへの恐怖心をそのままにしておくのは不安なので、それをコントロールするために名前を付けたり、形を与えたり、拝んだりすることで、自分を安心させるのである。そこで、妖怪文化が生まれたわけである。 妖怪文化は日本の民俗文化の一部分として、別の角度から、日本民族の考え方の特色と日本人の心理特徴を反映している。そこで、日本妖怪についての認識をすると同時に、日本の全部の文化範疇についての新しい理解を得ることができる。日本妖怪の新しい発展も、現代日本の文化の発展方向に影響がある。 妖怪文化の将来性を展望してみれば、それはもっと人間の日常の生活にかかわる現代都市の状況を体現しているといえると思う。妖怪現象は科学の原理には符合していないが、妖怪の気質は都市の一部分の極端の人に完全に一致している。 妖怪文化は長くて、強い生命力がある。法律の作用、道徳の作用など、いろいろな社会的な作用を発揮している。妖怪文化は日本の歴史の発展につれて、使命も変化している。その社会的な機能は、主観的には、自分を拘束して、良い事をするように、美徳を発揚する働きがあるし、客観的には、社会の説教や政治権力の強化によって、伝統的な倫理道徳が守られ、人々が自覚して公衆道徳を遵守するようになる効果もある。
謝 辞
この研究を卒业论文として形にすることが出来たのは、担当して顶いた缪桂华先生の热心なご指导と协力していただいたおかげです。协力していただいた皆様へ心から感谢の気持ちと御礼を申し上げたく、谢辞にかえさせていただきます。
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