译文:樱花与日本人的性格
原文:桜と日本人の心性
译文:樱花关于日本人来说既是很常见的花,又是很特殊的花。因为是常见的花,人们才会安心地寄居樱花之下,受她庇护。说是特殊的花,是因为日本人发现了花中的价值。那是在漫长的历史中,从各式各样的形态中捕捉到的。最明显表现樱花的是和歌,这是观察寄居樱花之下的日本人的心情的最简便的资料。比如藤原良经的“昔誰れかかる桜の種植えて吉野を花の山となしけむ”,这样一句很朴素的和歌,日语论文题目,说出了人们的心声,创作出名句“山室にちとせの春の宿しめて風にしられぬ花をこそみめ”的本居宣长,他非常喜欢樱花,以至于死后让人在他坟上种上樱花以便自己永久地享受樱花之美。顺带一提,在画着自己墓地的地图上他甚至详细记载了哪个地方种了哪种种类樱花。
原文:桜は日本人にとってはごくありふれた花でありながら特殊な花なのである。ありふれた花であるからこそ人は安心してこの花のもとに身をよせる。そして、特別な花として、日本人はこの花にある価値を見出している。それは長い歴史を通して、さまざまな形でとらえられてきている。もっとも端的に桜を表現しているのは和歌である。桜に寄せる日本人の心を見るには一番てっとり早い資料になる。藤原良経の「昔誰れかかる桜の種植えて吉野を花の山となしけむ」には素朴ながら皆が感じる心が詠まれているし、「山室にちとせの春の宿しめて風にしられぬ花をこそみめ」と詠んだ本居宣長は死後の居所である自分の墓に桜を植えて永久に花を楽しもうというほどの桜好きであった。因みに宣長は墓所の図を書き何処にどんな桜を植えるかまで詳しく記した物を残している。
译文:从现在遗留下来的和歌中挑出来樱花的诗歌看看的话,众多的表现中特别明显的是吟诵的下面三种美。1盛开之美2消亡之美3魔性之美。第一,夜以继日成群赏花的人们,虽然有例外,但大部分很喜欢樱花,被樱花迷住,作出一首诗。不用说,日语论文,虽然不同的人感受的有深有浅,但不管怎样都被樱花所迷倒。这就是樱花的盛开之美。第二,花开的时间很短,十天到七天的样子,才刚刚开放就早早的开始散落,从古人开始就把樱花的这种脆弱和无常观关系起来。从古至今僧人也好俗人也罢咏叹世事无常是人生的常态,象征这个的除樱花外,别无他花。看着樱花的那种破灭之美,正表达了这一点。但是,樱花除了以盛开之美丰富了人心,以飘落之脆弱引人深思之外,还拥有说不出来的妖性,有着让人心疼的魅力。梶井基次郎说过,因为樱花树下埋着去世的人的遗体,所以樱花很美。即便梶井不说,那种花确实潜藏着让人恐惧的什么东西。可以感觉到能吸进的危机感,没法依靠的恐惧感和一股神秘的力量。我把这个称为魔性之美。这些中你被哪一个所迷惑呢,就表现了各种各样的对樱花的态度。在樱花的远处很夸张的笑是人的自由,“樱花之类的最讨厌了”显示这种嫌弃感情的人也是很多的。但是,我自身被樱花迷惑了,感受到了樱花的魔性。这就是日本人身上常见的一种宗教性的东西。
原文:現在残されている膨大な和歌の中から桜の歌をよりだして眺めてみると、さまざまの表現の中にも特に際立っているのは次の三つの美を詠んだものである。1盛りの美2滅びの美3魔性の美。まず日ごろと夜ごろに花見に群れる人々は例外はあるとしても桜の美しさに歓喜しこころを奪われてそれを一首にまとめている。もとより感じ方に深い浅いはあるとしてもともかく桜に圧倒されているのである。これは盛りの美としてとらえたものである。次に花十日とも七日ともいわれるほど花の咲く時が短く、咲いたと思ったら早散り始める桜に果かなさを感じそれを無情と意識するのも古来多くみられるものである。昔から今に至るまで、僧も俗も世の無常を嘆くのが人生の常になってしまい、それを象徴するものとして桜ほどぴったりした花はなかったのである。桜に見るほろびの美は正にそれをあらわしている。しかし、桜は盛りの美しさで人々のこころを豊かにし、散るさまの果かなさで人々を沈潜させる以外に花のもついいようもない妖しさでも人の心を疼かせる魅力を持っているように思う。桜の木の下に死体が埋められているからあのように花が美しいのだといったのは梶井基次郎だが、梶井に言わせないまでも、確かにあの花には人を恐れさせるほどのなにかが潜んでいる。吸い込まれてしまいそうな危うさ、寄り付けないような怖さ、神秘的とでもいえる力を感じる。これを私は魔性の美と呼ぶ。これらのいずれに魅かれるかはそれぞれの桜への態度をあらわしている。また、たかが桜くんだりにそんな大袈裟なと笑うのもご自由だし、桜なんて大嫌いこれみよがしでと嫌悪の情を表す人も多いことと思う。しかし、私自身は桜のすべてに魅せられる一方で、この魔性に究極的なものを感じる。それは日本人に見られる一種の宗教の情緒に通じるものを内包していると思う。 |