南宋到径山寺参访的日本僧人考/南宋における径山寺を参訪する日本僧の考察
摘 要
径山与日本自古以来渊源颇深,除了径山茶宴是日本茶道之源外,径山对日本禅宗也作用深远。南宋五山十刹制度制定后,径山被列为禅宗五山之首,日语论文,日语毕业论文,成为“东南第一禅院”。径山万寿禅寺在大慧宗杲时达到全盛,两浙名僧云集径山,如蒙庵元聪、无准师范、虚堂智愚等先后主持弘法,盛传临济杨岐。日本僧人不可弃俊芿、圆尔辨圆、南浦绍明、无象静照等都曾到径山参访。本文对在南宋时期到径山参访过的日本僧人进行系统地归纳、整理,总结南宋时期的径山对日本的作用。
关键词:径山 日本僧人 南宋 五山十刹
要 旨
径山は古くから日本との関係が非常に深い。径山は日本の茶道の起源と言われているが、そのことのみならず、日本の禅宗に大きな影響を与えている。南宋に制定された五山十刹制度においては、径山は江南における禅宗五山の第一位に列して、「東南第一の禅寺」になっている。径山万寿禅寺は大慧宗杲に至って、多くの両浙の高僧がここに集まって、巨刹となる。蒙菴元聡・無準師範・虚堂智愚など相次いて径山の住持となり、大いに臨済の宗風を鼓吹していった。日本僧は不可棄俊芿・円爾弁円・南浦紹明・無象静照が径山に参訪している。本論文は系統的に南宋における径山を参訪する日本僧を整理し、南宋の径山が日本に与えた影響をまとめるものである。
キーワード:径山 日本僧 南宋 五山十刹 |