从《水泥桶里的一封信》看叶山嘉树思想的转变-从普罗文学到转向文学/
『セメント樽の中の手紙』から見られる葉山嘉樹の思想の転向─プロレタリア文学から転向文学へ
要 旨
二十世紀初めの頃、無産階級文学は日本で盛んになっていた。これによって大量な無産階級文学の作家が現われた。その作者たちは筆で数えきれないほどの無産階級文学著作を創作したが、時代の発展とともに、その大部分の作家は、再び別の文学領地に転じていった。即ち、無産階級文学の対立面、今日は「転向文学」と呼ばれる文学流派である。
葉山嘉樹は日本無産階級文学の代表人物のひとりとして、今までずっと日本無産階級文学の魁と言われている。本稿は葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』という小説をとりあげ、作者が転向する原因を探讨してみる。
伊豆利彦が葉山嘉樹の文章を評論する時に、このように述べていた:「葉山嘉樹の文学は、直接に民衆生活を接触しているので、やっと生命力があるものになる」。葉山嘉樹のほとんどの著作はその本人の経験に基づき、創作したものである。作者が自分の著作に表現していた考えと理想は実作者本人の生活の真髄な反映である。『セメント樽の中の手紙』は1926年1月に『文芸戦線』に発表された。『セメント樽の中の手紙』 は葉山嘉樹が1920年名古屋セメント工場で働いていた時期に、工人が作業中、高温の防塵部屋に落ちて焼死されたという実体験を基本的な素材にして、創作した著作である。二人の主人公が登場していた:女工、松戸与三。本論はまず二人の主人公の悲惨な運命の略论を通して、それぞれ二人の主人公の違った無産階級思想とその折衷性を略论してみた。即ち、あの二人の思想上の両面性を略论してみた。また、作者の生涯及び同じ時期に書いた著作の内容と結びつけ、作者葉山嘉樹の日本無産階級思想およびその折衷性の原因を解明してみた。以上の略论を合わせて見れば、葉山嘉樹は後期の思想転換、転向文学の道に転じたのは決して偶然なことではなく、前からも前兆が見られるようである。日本の無産階級には局限性や折衷性ということがある。即ち労働者階級の闘争はただ思想層面に留まって、階級地位を変えるなど根本的な問題に及ばず、資本家階級の残酷な実質を見抜いていなかったことも明らかである。
キーワード:無産階級 転向 工人 悲惨な運命 折衷性
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