范文/「高瀬舟」からの森鴎外の幸福観(2)[日语论文]

资料分类免费日语论文 责任编辑:花花老师更新时间:2017-04-13
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二、森鴎外の幸福感
 幸福とは何か、森鴎外は詳しく説明しなかったが、喜助を通して簡単に述べた。これは積極的な満足、悩むことがない、いい気持ちを保ち欲がなくて足ることを知ることである。
(一)積極的な満足感
 まず一番重要なのは積極的な満足である。自分は自分の運命を変えないなら積極的に運命をあわせるように努力したほうがいいと思う。荘兵衛は「平生人には吝嗇と言われるほどの倹約なせいかつをして、衣類は自分が役目のためにきるもののほか寝巻しかこしらえぬくらいにしている」注④ それは女房が内証で里から金を持ってきって帳尻をあわせるほどの貧しさ。しかし喜助と比べると贅沢な生活をしている。荘兵衛の生活には積極的な満足がなく、喜助の悲惨な運命や卑屈な精神との比較を必要とするほど、惨めで貧弱である。出世主義的な欲望にはきりがなく、絶えず不満が生まれる。役人としての荘兵衛は初老に手の届く年になっていたが、扶持米が足りなくて時々借金で暮らすのは恥ずかしいと思っている。男であるから自分の家庭を保護すべきだが、里から保護されるということは一生の恥である。しかし自分が現在に満足しており、多くを望まないことを示すことが森鴎外の一貫した処世術だと思う。喜助を自分の影としての森鴎外は、どんな困難があっても積極的な満足があればいい結果になる、と思っている。もう一歩自分の理論を証明するために、喜助を羨む荘兵衛の反省を通して詳しく述べた。「荘兵衛はただ漠然と人の一生というようなことを思ってみた.人は身に病がなかったらと思うその日その日の食がないとたべってゆかれたらと思う。万一の時に備えるたくわえがないと少しでもたくわえがあったらとおもう。たくわえがあってもまたそのたくわえがもっと多かったらと思う。かくのごとくに先から先へと考えてみれば人はどこまで行って踏み止って見せてくれるのがこのきすけだと荘兵衛はきがついた。」注⑤ 人生は苦労に満ちているし、面倒な問題を避けることなどできない。しかし病がなかったら、食えていけば、貯蓄があれば、つまらないと思わないか。普通にはグチといわれる不満が人生の主な悩みで、こんな不満さえなければ幸福になれるとは、何と安楽で不毛な生活であろう。病や食えないことがあればこそ、病がなければ、食う物があれば、という空想にとどまっていることはできない。生活に満足を感じることができる。人生は困難に満ちている。その困難の中で生まれる人は、この困難を積極的に取り除くこうと努力すれば、生活の甘さ苦しさが味われる。これは一番の幸福だと思う。
(二)悩みがない
 悩みがないこと。困難に満ちている人間は、生活の甘さ苦しさを味わって、幸福と感じるのはわずかであるから、喜助のことからもう一つの鴎外の幸福観が見られるーーー悩みがないことである。自分の弟を殺す喜助までも弟をなくしてから一人ぼちになっていて悩むことがない、ただ遠島を申し渡されることを待つしかないから「遊山船」にでも乗ったような顔をしている。喜助は自分の弟を殺すべきかということは抜きにして、回りの“面倒”な人や悩むことが取り除かれて、静かになって、当時の森鴎外にとって幸せなことと思う。静かになることだけではなく、喜助にとってたくさんの金ももらえる。この二百文を使わずに持っていることができると言うことが、いつものように右から左へ人手に渡すことより幸せなことだと思っている。そう思うと、喜助はついに「顔が縦から見ても横から見てもいかにも楽し

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