概 要 一、萌芽期 (1985年~90年代中期) アニメの支配時期 序 論 歴史上、特に近代歴史上、いろいろな目的の為に、日本では中国についての探讨が盛んに行われている。其れによって得た経験と教訓は日本近代迅速に勃興できる 一つの原因となっている。対照的なことに、今になっても、中国は日本に対する探讨はまだまだ不十分である。今、グローバル化がスピードアップし、「平和と 発展」が世界全体の主流となっている情勢の下に、各国は、経済、軍事等のハード面の実力において競争しなければならないし、艺术を中心とするソフト面の実 力も無視できない。従って、日本を探讨する当面の急務は日本艺术及び日本艺术の中国での伝播と影響を探讨することだと私は主張したい。これは、拙文の着眼 点である。 この文章が関心を寄せているのは、80年代に生まれた一代(以下80一代と略称)という特殊な世代の諸人である。彼ら は、生まれてから「一人っ子」、「甘やかされているままで育てられた一代」等のレッテルを貼られ、成長の過程に、中国の近代化に恵まれた豊かな物質生活を エンジョイしてきた一代であり、いろんな批判を受けた一代でもある。時が経つにつれて、80一代は今或いはもうすぐ主人公として歴史の舞台に登場する。彼 らは中国の未来である。以上を纏めてみれば、日本艺术の80一代への影響は探讨に値する問題であろう。この世代が如何に日本艺术を見定めるかということ は、彼らの日本又は日本人観に直接に影響する。おまけに、筆者も80一代の一員である、これがこの拙文を書こうとする動機である。 拙文は以下の二つの認識に基づいて論を進めようとしているのである。先ず、80一代は中国が全面的に改革開放してから生まれ育った。この時期では、多種多様 な新しい知識、新しい思想、そして新しい価値観が流入してきたから、我々が直面している艺术の大背景は複雑で多元的なものになってきた。こういう趨勢はイ ンタネットが奇跡的なスピードで興ってから、益々明らかになった。そして、日本艺术はその特有の互換性を以て、この背景の中一つのモデルとなった。第二、 日本艺术の伝播と影響はいつも中日関係という大前提に限られているにもかかわらず、80一代の成長に密接な関係を持っている。
80一代は子供時代を追憶する時、一本の代表的な日本アニメ必ず目に浮かんでくる。正直に言えば、これら活気の溢れるアニメこそ、80一代のは じめの十年 間、時代の歩と共に付き添ってきた。この時期では、日本艺术の影響と伝播は、アニメによって支配されているという特徴を呈している。80一代は日本に対す るイメージは、ドラえもん、アドム、一休さんといったようなアニメキャラクターにつけられた。《日本艺术の中国での伝播と影響(1972~2017)》という本の中で、この時期を「高潮期」と作者の李文氏が定義を下し[1]、この段階では、中国人の人々が日本に対する興味と好感を持つようになったため、日 本艺术の伝播のスピードが一番速いし、影響も一番大きいと彼も認めた。しかし、この時期を「高潮期」という言い方は、直接にまだ幼い80一代に当てはめる ことは出来ないと思う。というのは、この時期では、彼らの世界に対する認知のレベルは年齢と見聞に限られている。そして、彼らにとって、急速に普及されて いるテレビを頼りにし、日本艺术を広められるのは、アニメだけである。更に、中日関係が「ハネムーン」に当たり、中国は地元のアニメ産業がまだ発展してい ないといった背景の下に、日本のアニメが中国で大成功を収めた。一時、中央テレビ局からそれぞれの地方テレビ局に至るまで、子供番組は全く日本アニメの代 名詞となっていたくらいであった。アニメを楽しむことは、多くの80一代の少年時代の日課であって、その中のキャラクターもまるで側に生きている仲間のよ うである。80一代の多くは、アニメから初めて日本を認識した。例えば、康夫の畳、一休さんの和服、新野衛門の帯刀、そして日本人の礼儀正しさ等、アニメ を通じて日本艺术は80一代に強く印象を与えた。 |