【摘 要】在经济全球化的影响下, 旅游业已成为世界第一大产业,进入了一个快速发展的黄金时代。世界上许多国家和地区都将旅游产业定位为重要的战略性产业。而旅游资源丰富的日本更是以“观光立国”作为立国之本,大力发展旅游事业,走在了世界旅游业的前列。通过对日本旅游业及日本旅游文化的发展进行回顾,略论各阶段日本国内旅游及海外旅游的特征,并对日本旅游产业发展过程的经验进行总结,以期对我国的旅游业的发展起到一定的参考影响。 中国论文网 【关键词】日本;旅游;文化;发展史 人類の旅の始まりは、生活の食料を獲るため、また、製品の交換、集落部族間の闘争に伴う移動から始まったと言える。21世紀になると、観光を真に一般大衆のものとして先進諸国で定着し、現代観光の特徴である、一般大衆が広く観光に参加する時代、いわゆるマス·ツーリズムの時代を迎えた。本論文は日本における国内旅行と海外旅行の発展過程を遡って、各時期における旅行文化の特徴を略论したい。 一、日本における国内旅行の発展過程 (一)江戸時代の旅 中世の多くの紀行文の中でみられるように、中世の旅としては、1192年に源頼朝が幕府を開いた鎌倉と、朝廷のある京都との往来が盛んになり、人々が行き来した。 近世では、江戸時代に入ると、道路や宿場の整備、治安が向上、貨幣経済の発達、組織された「講」(一定額のお金を集金して旅の費用に当てるために形成した団体旅行形式)の存在などの要因で、庶民の間にも旅が定着してきた。この時代には、信仰の旅である伊勢参りが盛んになり、江戸中期以後、伊勢講を中心とする農民、町民の参加者は、年間20万~40万人いたともいわれている。その後徐々に、庶民が日常生活から離れる格好の方便となり、伊勢参り後は近くの遊郭で遊んだり、京都観光をしたりして、旅を楽しんだようであるが、、一般大衆の国内旅行はかなり活発になっていた。また、関所、往来切手(身分証明書)の存在などの原因で、旅行は、また誰でも自由にできる行動ではなかった。 (二)明治時代の観光旅行 明治になると、関所が廃止され、誰でも自由に日本中に旅行することができるようになった。また1872(明治5)年には、新橋~横浜間に初めて鉄道が開通したことによって、移動時間を飛躍的に短縮した。旅館も鉄道の普及とともに増加し、旅の活発化するための基本条件である交通と宿泊という2つの条件が整備されていった。明治時代には、修学旅行、温泉への旅、夏季の海水浴、新婚旅行などの旅行形態や旅行志向を形成した。 明治30年代頃から、「美しい自然を見たい」という“風景を求めての旅”が盛んになっって、パッケージ·ツアーの原型もこの時代に見ることができる。1905(昭和38)年、南進助が国鉄の貸切列車により、「善光寺参詣団」を募集し、約900名の客を集め、成功した。これは、現在の「(株)日本旅行」の前身である。JTBの前身である「ジャパン·ツーリスト·ビューロー」が1912(明治45)年に創立された。 (三)昭和時代の旅行 明治時代に定着した日本人の観光旅行は、質と量の両面、共に発展したが、第2次大戦の影響で停滞し、1945(昭和20)年戦争終結後、ゼロからのスタートとなった。1946(昭和21)年に修学旅行が復活した。1948(昭和23)年国鉄と旅行会社共催の臨時車が移動し、団体旅行の形で観光旅行は行われるようになった。 旅行業界では、ジャパン·ツーリスト·ビューローは、戦後(財)日本交通公社と改称。1948(昭和23)年には現在の近畿ツーリストの前身である日本ツーリスト(株)が創業。日本における近代の旅行業はまさにこの時代にスタートした。 1964(昭和39)年後、運送機関の整備が進んで、東海道全線が電化され、列車の旅はもっと快適になり、観光旅行に大きな影響を与えた。航空運送の整備も進んで、1957(昭和32)年に全日空輸(株)が発足。また、この時期には、「東急観光」、「阪急国際交通社(現阪急交通社)」などの旅行会社が続々と誕生した。こうした背景の下で、旅行ブームが作り出されて、団体旅行が中心であった。 昭和40年代に入ると、「イザナギ」景気が到来、日本経済は高度成長が続き、1969(昭和44)年には、国民総生産は世界2位になった。この間、国民所得の向上により、人々の生活意識やライフスタイルが変化し、レジャーに対する意識や行動も大きく変化した。また、1970(昭和45)年に開催された「大阪万博」は、旅行の大衆化をもたらし、従来の団体旅行を家族·小グループ旅行に分解していく契機となった。 1970(昭和45)年から行われる旅行は、従来の観光地を巡る観光行動パターンと異なり、話題のスポーツを訪れ、食事やショッピングで、旅行におしゃれやファッション感覚を持ち込んで、観光の目的も多様化、複雑化した。 1973(昭和48)年に発生した第一次オイルショックと1979(昭和54)年の第二次オイルショックは、日本の社会、経済、観光業界に大きな打撃を与え、「安近短」旅行という言葉が出現した。 一方、80年代に入ってから、多くの人々は、「物の豊かさ」より、「心の豊かさ」を重視する傾向が年々高まっている。生活の面からみると、個人·家族を大切する意識が強まり、旅行スタイルの個人·グループ·家族旅行への変化に大きな影響を及ぼした。観光旅行の目的はさらに多様化が進み、いくつかの旅行スタイルがブームになった。また、1983(昭和58)年「東京ディズニーランド」の開 園により、人々のテーマパックへの旅行意欲を喚起した。 (四)平成の観光旅行 この時代、1991年に終焉を迎えた「バブル景気」の崩壊は、旅行に大きな影響を与えた。日本経済は一転して不況に陥り、旅行需要も急落。デラックスな旅行は減少し、第一次オイルショックの時の「安近短」ツアーが再び登場した。90年代以降の動向をみると、国内旅行は、可処分所得の減少、高齢化、少子化、年金問題により先行き不安などの原因で、平成初期から緩やかな減少傾向が続いている。 二、日本における海外旅行の展開 日本における海外旅行の発展過程は、揺籃期、中間期、成熟期という3つの段階に分けられる 。 (一)第一次海外旅行ブームを中心とした揺籃期(1964~1970年) 1956(昭和31)年の「経済白書」で「もはや戦後ではない」と指摘、1960(昭和35)年には、池田内閣が「所得倍増計画」を発表するなど、日本国内は、好景気に沸いた。 『国民経済計算年報』(内閣府経済社会総合探讨所編、平成13年版)によれば、日本の一人当たりGDPは1960年の477ドルであったが、1970年に1,967ドルに達した。 1964年は、東京オリンピックの開催を機に、日本の経済は、高度急成長が始まった年であり、旅行産業にとっても、大きな変化をもたらした年であった。それは、日本における海外旅行の歴史は、海外渡航自由化元年である1964年に始まった。 1964年に、海外観光旅行自由化によって、海外旅行ブームが起きた。自由化当時の年間出国者数は12万8,000人、対前年比27.7%増加し、その後、経済発展のスピードに合わせるかのように海外旅行者数は急増し、1970年には66万3,000人に達した 。増加した海外旅行マーケットにとして、旅行業界と航空会社は、団体企画商品と一人でも行けるセット商品 (パッケージ·ツアー)を開発し、市場に投入した。スイス航空のパッケージ·ツアー「プッシュボタン」をはじめ、日本航空の「ジャルパック」JT Bの「ルック」など相次いで登場した。よる大量団体旅行が日本人の海外観光旅行を飛躍的に発展させる最大の要因となった。 この時期では、海外旅行は一生一度の贅沢である時代であった。旅行商品は高額で、一般国民にとっては、「高嶺の花」で、手の届かない夢であった。旅行者は、熟年層が中心であった。旅行形態は、周遊型(Seeing型)、団体旅行が中心となっている。 (二)第二次海外旅行ブームを中心とした中間期(1970~1985年) 1969年、ジャンボジェット機が就航開始したことにより、航空座席の供給量は急速に増大し、バルクIT運賃 (団体旅行専用の航空運賃体系)ができ、「大量高速輸送時代」が実現した。パッケージ·ツアーの価格は大幅に値を下げた。また、1972年には、外貨の海外持ち出しの年1回500ドルという制限が撤廃され、誰でも行ける海外旅行時代が到来し、海外旅行の発展に拍車をかけ、いわゆる第2次海外旅行ブームを招来した。1970年から1973年までの海外旅行伸び率は、30%~60%にも達した。 その後、1973(昭和48)年に発生した第一次オイルショックと1979(昭和54)年の第二次オイルショックは、長い高度成長期に酔っていた日本の社会、経済に大きな打撃を与え、海外旅行にも水をさし、これまで順調に伸びてきた旅行消費が低迷した。この時期の人々の旅行志向が、「安·近·短」となった。多くの旅行会社は、団体旅行の販売ではなく、新しい販路拡大の方向性を検討し始めた。その結果、特定団体用の低価格旅行商品は、一般消費者という不特定多数マーケットへシフトし、一般市場に流入した。大手会社は、低価格のパッケージ·ツアーを開発し、JIB「パレット」、近畿ツーリスト「マイツアー」などのブランド商品は次々に登場した。これは、海外旅行の大衆化の原動力となった。 (三)第三次海外旅行ブームを中心とした成熟期(1986~2017年現在) 80年代前半、伸び悩んでいた旅行市場は、1985年9月のプラザ合意により、円高、バブルの傾向が始まり、海外旅行者数は急増し、1986年に500万人に突破した。1987年、旧運輸省は、日本の国際収支の大幅黒字を、海外支出の増加により、改善すること、国際交流の推進により、日本人の国際的なセンスを磨くことを目的として、「テンミリオン計画(海外旅行倍増計画)」を提唱した。1987年に運輸省が「海外旅行倍増計画」を打ち出し、1990年に、当初の目標達成より一年早く1,000万人に達した。 90年代に入ると、日本における海外旅行の成熟化、リピーターの増加につれて、日本人の旅行に対する意識も変化しつつあり、旅行の需要と旅行者の行動も変化した。周遊·見物を中心とする“従来型観光”とは異なった交流·対話·体験·発見·共感などを目的とする“新しい観光形態”へ転換した 。旅行形態は、従来の名所、旧跡を巡る周遊型の観光パターンからレジャー、スポーツ、レクリエーション型の観光(Doing型)に移行し、旅行スタイルは、従来の団体から個人·グループ·家族旅行への移行傾向になった。 三、今後の展望 21世紀に入ると、日本における海外旅行は、さらに特に単一目的地(リゾートなど)で滞在型 旅行(Being型)が好まれるようになる。また、旅行者の経験、インターネットの普及により、旅行者は多くの情報源から旅行に関する情報を入手でき、「ツアー離れ」、「個人旅行志向」を加速させることとなった。 参考文献 [1] 佐藤喜子光.観光を支える旅行ビジネス[M].東京:同友館,2017. [2] 太田久雄.売れる旅行商品の作り方[M].東京:同友館,2017. [3] 杜江,日语论文,戴斌.中国出境旅游发展年度报告[M].旅游教学出版社,2017. [4] 张广瑞等.2017-2017年中国旅游发展略论与预测[M].社会科学文献出版社,2017. [5] 杜江,日语毕业论文,戴斌.旅行社管理比较探讨[M].旅游教学出版社, 2017. 作者简介:马波(1971.06- ),女,辽宁朝阳人,辽宁对外经贸大学日语专业讲师,管理学硕士,主要从事日本语言文学探讨。 |