日本語の主語省略について[日语论文]

资料分类免费日语论文 责任编辑:外语论文网更新时间:2017-04-01
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 日本人の言語習慣によって、日本語で主語がよく省略されることがある。省略される部分の多くは人称代名詞であり、主に第一人称と第二人称である。主語が省略されるという現象は日本語自身の特徴だけでなく、日本社会の歴史文化とも深く関係を持っている。

主語省略という現象を研究すると、語彙学や文法学などの多方面の知識に及ばなければならない。本論文は語彙学と文法学の理論に基づいて、日本語のセンテンスの表現から主語省略の内容、方式、原因などをめぐって検討しよう。

 

 

第一章「主語省略」に関する先行研究

日本語の文法界で昔から「主語はいったい何のことか」、「日本語には主語が存在するか」、「主語の働き」などをめぐる討論がある。ものごとに対する見方は人によって異なるといえる。今まで、皆に認められた結論がないが、主に主語中心説、述語中心説、主語廃止説などがある。

1.1 主語と述語を中心説

大槻文彦、森重敏、大久保忠利、鈴木重幸の観点と学校で教える日本語文法によると、主語と述語が文の主な成分と思われる。「主語と述語は文の成立の基本的なモメントであって、基本的にはそれだけで文が成り立つ。」[62]鈴木重幸は論文の中でこう書いた。学校文法にも「主語と述語……文を組み立てる最も中心的な部分である。」[63]と指摘された。文の主語と述語の構造によって、学校文法では文が三種類分けられる。この分類の弱点は、たくさんの主語のない文が包括されていないことである。

(1)私は中学生です。(単文)

(2)ゆりは香りが高い。(複文)

(3)海は深く、水も美しい。(重文)

1.2述語の中心説

日本語の中で、主語は述語と伴って存在しではなく、目的語や補語と同じ、述語の補充あるいはつき物であり、文法では皆補語といえる。この観点を持っている代表者は山田孝雄、橋本進吉、時枝誠記、金田一春彦、寺村秀夫などだ。時枝誠記は「…国語において、主語、客語、補語の間に明确な区別を認めることができないといふ事実は、それらが、すべて述語から抽出されたものであり、述語に含まれるといふ構造的関係に於いてまったく同等の位置を占めてゐるといふことからも容易に判断することができる。」[64]と指摘した。

1.3主語の廃除説

 主語の廃除説は三上章をはじめ、多くの日本言語学家が支持した観点である。三上は主語が英語のsubjectの日本訳語と思って、日本語の中で使うのが不適合だと言った。三上の主な観点は「主語は、主格が或る特別なはたらきをする国語において、その主格に認められる資格、としか考えられないものである。             (4)甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ[65]。

という文において、「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はいずれも「紹介シ」という行為を説明するために必要な要素であり、優劣はない。重要なのは、それらをまとめる述語「紹介シタ」の部分である。「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はすべて述語を補足する語(補語)となる。一方、英語などでの文で主語は、述語と人称などの点で呼応しており、特別の存在である。

この考え方に従えば、英語式の観点からは「主語が省略されている」としかいいようがない文をうまく説明することができる。たとえば、

(5)ハマチの成長したものをブリという。

(6)ここでニュースをお伝えします。

(7)日一日と暖かくなってきました。

などは、いわゆる主語のない文である。しかし、日本語の文では述語に中心があり、補語を必要に応じて付け足すと考えれば、上記のいずれも、省略のない完全な文とみなして差し支えない。

今日の文法学説では、主語という用語・概念は、作業仮説として有用な面もあるため、なお一般に用いられている。一般的には格助詞「ガ」を伴う文法項を主語とみなす。ただし、三上の説に対する形で日本語の文に主語が必須であると主張する学説は、生成文法や鈴木重幸らの言語学研究会グループなど、主語に統語上の重要な役割を認める学派を除いて、少数派である。森重敏は、日本語の文においても主述関係が骨子であるとの立場をとるが、この場合の主語・述語も、一般に言われるものとはかなり様相を異にしている。現在一般的に行われている学校教育における文法(学校文法)では、主語・述語を基本とした伝統的な文法用語を用いるのが普通だが、教科書によっては主語を特別扱いしないものもある。日本語においては主格に何ら特別なはたらきが見られない。従って主語というのは日本文法にとって無益有害な用語であるから、一日も早く廃止しなければならぬ。」[66]ということだ。

 この以上の三つの観点(主語と述語を中心説、述語の中心説、主語の廃除説)から見れば、私は二番目の「述語中心説」を賛成する。「述語中心説」から主語は存在を認めるが、文法の中で主語とほかの部分は同じ地位にある(ほかの部分は目的語や補語など)。ところで、主語は何であるか。佐治圭三教授は「一般には、文の成分の一つで、述語の表す意味( 種類、属性、状態、存在、変化など)の主体を示すものを言う。」[67]と言った。

日本語界で、省略に関する定義あるいは概念はさまざまがある。今まで、認められた一致の標準がない。久野彰曾は「談話の文法」のなかで、「省略されるべき要素は、言語的或いは非言語的文脉から複元可能でなければならない。」と省略の基本原則だと思っていた。三上章も「わかっていることは何でも省いてよい、というのが総則である。」との原則を提出した。高崎みどりは「ある語句の反複を避けたり、言わなくてもわかることを表現せずにすませたりして、文中の要素のいずれかが欠落している表現を、<省略表現>と呼ぶ。」と指摘した。

上述の観点をまとめると、本文で研討した省略は特定の文章あるいは言語環境で、ある文の成分が出なくても、相手が意味が分かってくれる。必要があれば、分の成分を補うことができる。補うときは、文法が正しくて日本人の表現習慣に合わなければならない。[68]

 

 

第二章「主語省略」の具体的な表現

形態から見ると、日本語主語の表現は体言(または体言性連語)の後「が」と「は」または他の副助詞や連体格「の」が付いている。会話文では、助詞が省略される時もある。

(7)空は青い。(助詞:は)

(8)あなたが行きなさい。(助詞:が)

(9)それを見るのが楽しみだ。(助詞:が)

(10)それもそうだ。(助詞:も)

(11)あの人だけ医者になった。(助詞:だけ)

(12)私、いやですわ。(会話文、助詞が省略)

(13)雨の降る日は天気が悪い。(助詞:は)

(14)天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らない。(助詞:は)

(15)方言とは、ある地域固有の言語体系をさす。(助詞:とは)

注意すべきことは、「は」や「が」などの副助詞が主語以外の成分を提示するときや「が」が対象語を提示するとき、助詞の表す対象は主語ではない。

(16)パンはぼくが食べた。(は~パン、が~ぼく)

(17)私は仕事がつらい。(は~私、が~仕事)

日本語の文法の特殊な性質のため、日本語文の件名((7)―(17)下線部)は、しばしば省略された。ただし、次の2つの状況は、本研究の範囲内でされていない。

2.1主語のない文

日本語にはたくさんの主語のない文がある。このような文がわざと主語を補えば、かえって不自然になって人に受けられない。時には、誤りになる[69]。

(18)いくよ

そういう文章は日本人の日常生活の中には常に使用している。主語の省略の代わりに、具体的な言葉使いの中では色々な意味の表現が出来る。

例文a:―上野公園の桜もう咲きまして、僕と一緒に見にいくぞ

    ― いくよ!

上の例文の中に、もし主語を省略しても文章として成立するし、省略したのは私たち。

例文B:明日私の母は田舎から来るので、迎えに行っても大丈夫ですか?

    行ってもいいよ。

この例文の中では、省略した主語は貴方になる

例文C:―学校の指示で明日工場の研修活動があって、私たちは一緒に行きましょうか?

―原野くんは?

―行きますよ

この例文の中では、原野君という人はこの文章の主語になっている。そのほかに

(19)ほんとうですね。

(20)嘘でしょう。

のように日本人の曖昧表現のため、主語の省略は現代日本人の生活中では一般習慣になっている。主語の無いのために、違う環境で使うと違う意味に変わることができる、しかし主語を省略したら、客観的な表現になる可能性もある。

(21)暖かくなりましたね。

(22)冬になった。ゆきよ、ふれふれ。。

(23)もう時間ですよ。

(24)あっ、蛇だ。

(25)5に2をかけると10になる。

((21)~(25))ロジックでは、主語が存在しても、実際には文の意味伝達に必要ではないので文は主語の省略と見なされない。

2.2言語環境の主語省略の一般的な状況

言語環境の主語省略は省略された主語は前のまたは後の文に現れて読者がこれを通して主語を推定することができるということだ。言語によって異なりがあるが、このような主語の省略は日本語だけでなく、英語や中国語にもよく現れる。一般的には主語省略は四つに分かれている。その中、会話省略が一番高い頻度で使われる。

(26)三四郎はおのずから見ようになって、ベーコンの論文集を伏せてしまった。(三四郎は)ほかの小説でも出して、本気に読んでみようとも考えたがめんどうだから、やめにした。(三四郎は)それよりは前にいる人の新聞を借りたくなった。

夏目漱石『三四郎』

(27)( 私は)いねむりにしては連続的なのが不気味に感じられた。私は不自然でないて いどに子供との見をあけてこしかけていた。

志賀直哉『灰色の月』

(28)A田中さんは結婚していますか。B(ええ、田中さんは)結婚しています。

(29)――私毎日学校へ来ます

  ――(あなたは)日曜日も来ますか.

(30)金星の引力は地球ぐらい強いから、(それは)地球と同じくらいたくさんの大気を持っている。

(31)(筆十郎は)一つの本の主人公になったからといって、筆十郎が出世したわけではなっかたからである。

『三婆』新潮社・新潮文庫

(32)(私は)春らしい季節感を持っている二つの記憶の断片がある。

 

 

第三章述語の主観的な陳述から見た主語省略

前述のとおり、中国語や英語と異なって、日本語の文の中核は主語ではなく、述語である。多くの場合、述語は主語の存在がきめられる。主語省略は述語の形式と特徴に密接な関係がある。みんなが知っているとおり、全体から見れば、述語は二つに分けられ、客観的な叙述(「命題」)と主観的な陳述(「モダリティ」)である。主語の省略は主観的な陳述と深くかかわっている。

3.1第一人称の主語省略

話しての意志、感情、情動、欲望などを表す文に、述語の表し方は主語の存在を暗示したから、第一人称がよく省略される。

これらの文は「~う/よう/まい」など意志を表す文、人の感覚や感情を表す「うれいし、しいの悲しみ、恥しいずか、このわい、残念だ...」などの形容詞のある文、考えをあらわす「~思う」「~考える」の文、期待や願いを表す「~たい」「~ほしい」の文などがある。

(33)病気の母のことを考えると悲しくなる。(悲しくなる)

(34)来年こそはよい成績が取れるように頑張ろう。(~う)

(35)君の言うことのほうが正しいと思う。(~思う)

(36)ああ、暑い。何か冷たいものが飲みたい。(~たい)

(37)母には、いつまでも元気で長生きしてほしい。(~ほしい)

(33)―(37)の例から、分の意味はみな主語を中心に展開していくことがよく分かれる。これらの文はうちから外へ伝達する共同点がある。

3.2第二人称の主語省略

命令文や疑問文などで主語が出なくても相手がよくわかる。これらの文は話し手が聞き手に直接に命令、禁止、希望、許可、勧誘などの意を伝えるのだから、主語が明らかである。次の文では、勧誘文の(43)を除いて主語が絶対出てこない。他の文の主語は全部第二人称である。

(38)はやく行け。

(39)食後に服用すること。

0()(40)危険な場所に近づいてはならない。

(41)(君が)やってみたらどうですか。

(42)熱いお茶などいかがですか。

疑問文(41)、(42)の主語は第二人称の可能性がある。

(43)きのうは早く帰った?

(44)まだ来ないのか。

3.3第三人称の主語省略

形式から見て、文末の述語の表し方は主語が第三人称であることを伝える。たとえば、「~だろう/ ~でしょう(推量)」「~ようだ(比况)」「~はずだ(判断)」「~そうだ( 様態)」「~そうだ/ ~という/ ~って(伝聞)」「~がる(願望)」。これらの文は外からうちへ追究する特徴がある。

(45)場合によっては延期されることもあろう。

(46)今週は東京に行くと言っていたから、明日の会議には(山田さんは)来ないはずだよ。

(47)( この子は)母がちょっといなくなると、すぐにさびしがって泣くんですよ。

(45)の主語は「会製」や「試合」である。前の分と接続して、わざと説明しなくと相手がすぐわかる。そのような省略は日本語だけではなく、世界の中でも広く存在しているのようだ。客観的な事実を表す場合がおおい。

 

 

第四章敬語の使い方から見た主語の省略

 周知のとおり、敬語を使うことはいろいろな言語の中で一般的に存在している現象である。しかし、中国語や英語と比べると、日本語の敬語は構造が複雑だし、形式が多様だし、使いも頻繁である。

 会話の時、お互いの仕事、社会地位、等級差別、年齢、親密さによって、違う敬語の形式を使うことは大切である。例えば、話題の主語に敬意を表す時、尊敬語を使い、自分のほうを話す時、謙遜語を使って、相手に敬体を使うべきである。特に、敬語の使いと主語の中で呼応する関係がかなり存在している。例えば、,「いらっしゃる」「お読みになる」「おっしゃる」「ご心配なさる」「召し上がる」「見える」などの尊敬語は主語を高める表現で、自分のほうを高めるわけではない。だから、主語は決して第一人称ではない。「見する」「お読みする」「伺う」「参る」などの謙遜語は自分を低め、相手を高める表現である。話す人は自分と自分のほうの人だけ、つまり、主語は第一人称に決まっている。[70]

(48)北海道をご旅行されるなら、ご案内申し上げます。(謙遜語)

(49)本日はお越しくださいまして、誠にありがとうございます。(謙遜語)

(50)「もしもし、これからちょっとお邪魔したいんですが。」

「こちらへいらっしゃるんですか。」(尊敬語)

(51)貴重な本をいただいたお礼に、私の書いた絵をさしあげたいと思います。(謙遜語/尊敬語)

例文(48)を見ると喋る本人は友たちか自分より上の人に自分の地元を紹介案内するとき、自分を最大限地位を下げ、案内したいというか、この人だったら、丁寧な案内を絶対するという気持ちも表現している。

例文(49)を見ると、大体な感じは喋る本人はこの家の大家さんか、不動産の管理人だ、相手はお客様なので、自分運営している部屋に住み来たら、感謝の気持ちで自分の地位を下がって、丁寧な対応をしている。そういう時は敬語を使うべきである。

 (50)の会話では、最初喋った人は敬語を使っている、理由は相手のところに行くなので、無論邪魔するので、敬語使うべき。答えの人は来ても邪魔ではないよという表現したいので、敬語で是非来てくださいという気持ちを伝える。

 例文(51)は喋る本人相手からすごく大事な本を貰ったので、その大事な返しは自分の絵けど、自分のものだったら、自分の地位を下がって、物を礼にとって恩返しみたいな感じ。そういう時尊敬語を使うべき。

上述の部分をまとめると、日本語の敬語句の中で主語を省略する表現はよく見慣れる。尊敬語の主語は大体第二と第三人称で、謙遜語の主語は大体第一人称である。それを関しては、日本という国は昔からずっと儒家という中国文化を影響されて、先輩後輩(年齢によっての格差)及び身内と他人の差別、あとは男女のお言葉使いの違うから見ると日本語の文化の深みな味がある。尊敬語は使う本人の地位を下がって、相手を上に挙がるという方法、そういうやり方はもう日本人使う言葉の習慣になっている。ですから、常に普段主語を省略して、日本人の間では普通の習慣になりつづ、特に社交の中とか、先輩後輩の間では主語を省略したら、逆に交流し易くなっている、お互いに理解し易いではないかというものであり、それが日本文化の一つ特別な特徴である。

第五章 授受の表現方式から見た主語省略

敬語の表現方式はほかの言語でも普便的に存在する言語現象といったら、授受の表現方式は日本語の独特的な存在だと思っている、日本語の動詞は英語のように人称によって変えらなくて、それと同じ動詞もある。これは授受動詞である(確かに授受の表現方式という)。たとえば、中国語の“给”と対応するのは「与える」「渡す」だけでなく、A「くれる•くださる」「もらう•いただく」「やる•あげる•さしあげる」もある。ほかに、「恩恵」関係を表す補助動詞はB「~てくれる•~てくださる」「~てもらう•~ていただく」「~てやる•~てあげる•~てさしあげる」がある。こんな授受の表現方式(A、B)の核心は人と人の上下親疎遠近の関係を掲示して、人称代詞との対応指向性が明確的に存在している。それで、授受の表現文の中で主語はよく省略する。たとえば、「くれる•くださる」「~てくれる•てくださる」の中で、主語は「私」あるいは私の周りの人ではいけない。でも、「やる• あげる•さしあげる」「~てやる•~てあげる•~てさしあげる」の中で、主語は多分「私」と私の周りの人である。「もらう•いただく」「~てもらう•~ていただく」の中でも、主語は多分「私」と私の周りの人である。みんなに知れ渡っていて、言語の表現原則の一つは最少の言語で最多の情報量を表す。それで、授受の表現方式の中で主語の省略はとても自然なことである。[71]

(52)先生にアルバムを差し上げました。

(53)先日注文をいただきました品物が出来上がりました。

(54)水をいっぱい飲ませてください。

(55)案内してくれた部屋に入りました。

(56)これから研究会を始めさせていただきます。

(57)この写真屋がうまいんですが、一度彼のところへ行って写真を撮ってもらってやっ  てくださいませんか。

だから,(52)「さしあげました」、(53)「いただきました」、(54)「水を飲む」の動作主体は話す手だけである。そのように主語はあるかないか、意味の表すには全然かまわない。(55)「案内する」の動作主体は話す手のかもしれならない。(56)「研究を始める」の動作主体はきっと話す手である。(57)は金田一春彦がかった『日本語の特質』からのである。「とってもらって」は聞き人が攝影師からもらたので,「やって」は攝影師が受益する(費用を取ったから),「くださいませんか」は聞き人が私の提案を受け取って ,話し人が受益する。というようにして、主語を暗示する。中国語の訳文は“这个摄影师技术不错,你可否到他那儿去一趟,让他给你照张像,怎么样?”日本語の文の中で人称代詞を一回使わなくて、中国語の中で四回を使う。日本語の授受表現文の中で隠れている人称の指示の特徴は明らかに分かる。

 

おわりに

上述したとおり、主語の省略はどの言語にもよく見られている。主語の省略は語意学、篇章学、文体学、語用学などに及んで、深く研究する価値がある。中国語や英語と比べて、日本語の主語が大量に省略されることは日本語の特徴だ。主語省略は主に三つの方面に現れる:1、述語によって主語を表す。2、複雑で発達な敬語の表現方式は主語の存在を暗示する。3、日本語の受給関係表現方式の中で人称指示が潜在するという特徴は主語が省略されることを決める。確かに、日本語の主語省略の研究は、「は」と「が」の使用方法と文を判定することだけではなく、日本人の意識と日本文化の面にも深く検討する必要がある。これは私の将来の研究である。

 

 

謝  辞

 

本論文が完成する運びになったのは、齐珂先生からご多忙中にもかかわらず、貴重なご指導を頂きまして、心から感謝の意を表す次第です。また、この論文の最初の階段から進行まで終始熱心に励ましてくださったいろいろな方々に、心からお礼を申し上げ、終わりにしたいと思います。

 

参考文献:

[1] 三上章.文法小論集[M].東京:くろしお出版,1970

[2] 三上章.現代語法序説[M].東京:くろしお出版,1980

[3] 北原保雄.日本語の表現と文法[M].大修館書店,1984

[4] 連淑玉.日語的无主句[J].日語学習与研究,1986年02期

[5] 鈴木重幸.主語論をめぐって.ことばの科学[M].むぎ書房,1992

[6] 下川浩.日本語の主部.現代日本語構文法[M],三省堂. 1993.

[7] 姚灯鎮.日漢主語承前省略的比評.漢語和日語比評研究[J],1994

[8] 森田良行.ことばを創る日本人の発想[M].総拓社. 1995.

[9] 飛田良文.日本語文章表現法[M].東京:白帝社,2000

[10] 庵功雄.日本語文法ハンドブック[M].スリエー. 2002.

[11] 崔けん.日本語通論[M].大連理工大学出版社,2003

[12] 野田尚史.見えない主語を捉える,言語[M]. 大修館書店. 2004.

[13] 三宅知宏.敬意表現から見た「主語」,言語[M]. 大修館書店. 2010.

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