はじめに
日本の女性文学において、多くの女性作家が多かれ少なかれ当時の恋愛観や結婚観に触ったことがある。伝統的な日本女性は、夫或いは家族のために、自分を見失って一生を暮していた。また、中国の伝統女性と同じように、仲人口で結婚した人がほとんどそうであって、誰と結婚するのも自分で決めたわけではない、ということが分かってきた。ところで、時代が進んでいるにつれて、日本女性の恋愛観も結婚観も変容してくるはずであろう。とくに、社会地位や教育程度や自己意識などの面においては、現在の日本女性は昔と違って恋愛観と結婚観の変化が非常に著しい。具体的に「女の道徳」に縛られたくなくて、伝統的な「女らしい生き方」[166]をしたくなく、婚姻の主体として生きたがるのである。婚後も、自分らしくて、元の仕事や生活を続きたいという女性が多くなってきた。つまり結婚観に反映されたことは現代日本女性の自己意識の変化だと言える。そのため、当時代の恋愛観や結婚観は何であろうか、現在の女性は恋愛と結婚のことについてどのように考えられているか、本研究で解決しようとする問題となる。 のであ さて、「女性は天の半分を支えることができる」という言い方は日本ばかりか、社会的に認められた。女性は社会と婚姻の主体として生きていく願望が強くなる。女性は母、妻、娘といった役を立つだけではなく、各分野でも相当の割合を占め、社会の進歩と安定にも、社会の経済と文化の進みにも計りしれない貢献をしている。女性の社会地位や経済能力や教育程度などは現代社会にはかなり変わってきた。恋愛観と結婚観は具体的に変わってきたか、そしてその変化の原因はなだろうか、ということは論文の中核とし、さらに、「物質婚姻」のかわりに、「精神婚姻」の台頭と晩婚、非婚などの問題について考察しようと思う。社会人口の半分ぐらいを占める女性にめぐる社会安定と家庭、婚姻問題を解決するには何か役立てばありがたいと考えられる。
第一章 日本女性の恋愛観の変化 考えられるれる。この現象も当時の女性は男性に対して、依頼心理が戦後、日本女性の恋愛は「お見合い」のかわりに、少しずつ自由恋愛となった。結婚相手の条件は時代に従って、変化しつつある。純愛の求めも日本女性の注目を集めている。 大化改新から明治維新まで、日本は千年あまりという長い間に封建社会を経験したので、女性に対して男尊女卑という思想は根強い人々の頭を縛っていて、女性は地位が低く、相当不平等な目を遭わせていた。たとえば、奈良時代から平安時代の都には国立の大学が設置されていたが、女性の入学は厳禁[167]であった。『源氏物語』の作者紫式部も、『枕草子』の作者清少納言も、当然なことながら大学へは行けなかったのである。それで、伝統的な女性の結婚観には結婚を自分の地位と経済レベルを高める主な手段と考えて、結婚相手を選択するときには、経済力と家柄や社会地位を主にする条件である。平安時代では、夫婦関係に入らないと、女性は男性に絶対に顔を合わせなかったので、女性は相手の身分・教養・才能について仲人を立て十分熟考はするが、いわゆる仲人口で、つい口先のうまい仲人にかかると、一生の不幸を見ることがあった。 十九世紀後半期に入って、日本はバブル経済の最中で、日本未婚女性の理想的な結婚相手は「三高男」であり、つまり「高学歴」、「高収入」、「高身長」の男性のことである。結婚した後、一般的に「男は仕事、女は育児・家事」で、妻は自分の仕事を諦め、家庭主婦を生涯の職業として家で家事や老人の看護を切り盛りしていた。この現象も当時の女性は男性に対して、依頼心理や虚栄感が強いということがよく見られる。この時代の女性は「精神婚姻」より「物質婚姻」のほうを重視すると考えられる。 九十年代になってから、社会文化と思想のグローバルに伴って、日本女性の結婚観も、家族観も多様になってきた。これによって、結婚相手についての条件も変化した。2002年日本国立保障・人口問題研究所の「結婚と出産に関する全国調査」[168]によると、現代日本女性の結婚相手の条件は変わったということが分かった。「家事や育児への姿勢」「仕事への理解と協力」を重視する女性はそれぞれ58.7%と51.2%である。逆に、結婚相手の「経済力」に重視する女性は十年前と同じぐらいで、33.9%を占めていた。2006年になると、株式会社マクロミル[169]の調査によって、結婚意向のある未婚女性に対して結婚相手に求める条件についての重視程度を尋ねたところ、「性格・人柄」が圧倒的に高く100%、次ぎに「価値観・相性が合うこと」98%、「恋愛感情」91%が9割を超える高い結果となった。お互いの精神面に関する項目について重視する傾向が高いようである。また、「所得などの経済力」を重視している女性の割合が高まったが、「経済力」、「職業」、「社会的地位」などの条件より、「家事・育児の分担・協力姿勢」と「自分の仕事への理解と協力」などの方に傾く。「適当」な経済力はもちろんだが、現代の女性は仕事や家事・育児に対する理解や協力姿勢を示すことの方を求める順位として高くなっているのである。男性の家事・育児参加に関する意識や女性の仕事に対する理解のあり方が、今後の未婚女性の結婚に影響を与えそうである。また、明らかに「三高男」の代わりに、「三低男」の時代に入った。「三低男」というのは「低学歴」「低収入」「低身長」の男性ではないで、「低姿勢」「低依存」「低リスク」[170]の男性のことである。「低姿勢」とは謙虚で、温和で、レディーファーストのこと;「低リスク」とは公務員などリスクの低い安定した職業を持っていることである;「低依存」とは経済や家事の面で自立でき、妻に超過負担をかけないで、相手を束縛せずに、お互いに生活を尊重すること。簡単にいえば、「三低男」は女性に思いやってくれる男性のことである。結婚後も仕事を続けたい女性が増えるなど独立心が高まったこと、バブル崩壊後の景気悪化を経験し高収入よりも安定を求める傾向が高まったことを背景にしているという。現代の日本女性は、自分の幸福を全て男性に頼ってはいけないことを悟った。現代日本社会で、多くの女性は女性の自立と自己を中心とする生活形式に賛成している。79.3%の女性は「結婚しても、自分の目標を持つべき、家族或いは夫に左右してはいけない」という観点と持っている。この時の日本女性は物質と精神ともに重視する。これによって、女性の自己意識の目覚めを表している。一方、現在の日本女性は「三手男」を求める傾向がある。この「三手」は「家事と育児の手伝う」、「手を取り合う(お互いの理解と協力)、「手をつなぐ(愛情)」[171]ということである。女性は結婚相手に関する条件は外部から内部への変化があって、一定な程度では純愛への追求を反映していると言っても過ぎないる。以上述べたように、伝統的な経済力と社会地位から、「三高」、「三低」それに「三手」へ、日本女性は時代の進みに従って、結婚相手の条件がすごく変容したと見られた。 3.0性は幸福を求める思想は目覚めたいる。愛への追求を反映してる「純愛」とは近代における恋愛の一種の理想としてしばしば扱われることである。一時の衝動による相手への執着ではなく、人格的な結びつきによる愛情であるが、ブラトニックラブとは異なり性行為により相手と一体になることを求める。経済的、政治的打算などではなく、純粋に二者間の間にある愛着だけで結びついた関係である。常に男と女の一対一ではぐくまれる愛情であり、相手以外の者に恋愛感情を向けることなく、二者間の他に性的接触をもたない恋愛対象を「運命の相手」とし、一生の恋愛関係にあることが理想される。そのため結婚は恋愛感情と結びついたものとして一生維持される。近年来、この「純愛」への追求は日本女性の恋愛観の一つになり、恋愛結婚をもっと求めるようになった。同時に、物質婚姻より、精神婚姻のほうが大事であるということが分かった。純愛への追求は自我解放の印の一つと言えるであろう。
第二章 日本女性の結婚観の変化 日本女性の結婚観は時代の推進によって、かなり変化している。時代・社会背景と女性の思想変化の産物ともいえるのである。 2.1日本女性の伝統的な結婚観 伝統的な結婚観は、女性は一定の年齢で当然に結婚すること、結婚後女は当然に子供を産むこと、当然に家庭内で働くことと認めている。江戸時代の代表的な学者といわれる貝原益軒は『女大学』の中で、次のように述べている。 「女は常に心遣して(中略)朝は早く起き、夜は遅く寝る、昼は寝づして、いえの内に心を用い織り、縫い、績み、紬怠るべからず。(中略)舅・姑の為に着物を縫い、食を調え、夫に仕えて、衣を畳み、席を掃き、子を育て、汚れを洗い、常に家の内にいて、みだりに外へ出べからず(中略)」[172] .4め夫に左右されずに、自我を持ち続きたいということである。だということは、女性は結婚後、本来の生活や仕事を放棄しなければならなくて、家事をすべきで、結婚を幸福の終着点と一生の職業として、家事と育児は天職だとしていた。それから、男女の不平等も当時の結婚観の特徴であった。「七去」[173]で、「舅・姑と仲悪い妻、子供のない妻、浮気な妻、嫉妬ぶかい妻、病弱な妻、おしゃべりな妻、夫を裏切った妻」という七ヵ条があった。これらの理由を持つ妻は、一方的に夫から離婚されても仕方のないものとされた。女性は男性の付属品と思われていた。昔、結婚は女性にとって深刻な問題であった。良くも悪くも親のすすめる結婚に従うのが良いと考えられ、結果が悪い時でも苦しむのは当人だが、「自らの過ち」として「人笑へ」の非難を直接受けずにすむということであった。 2.2現代日本女性の結婚観 現代社会に入ると、日本女性の結婚観は大きな変化があって、晩婚や非婚の一族が増える。2006年の調査によって、結婚したいと思うかを尋ねたところ「今はしたくないが、いずれは結婚したい」が48%と約半数を占める結果となりました。「すぐにでも結婚したい」26%と「今はしたくないが、いずれは結婚したい」48%を合わせた7割以上の人は結婚願望があるが、「必ずしも結婚しなくてもよい」24%、「一生結婚したくない」2%と回答した人は合計26%となり、4人に1人は結婚に対して積極的ではない[174]ことが分かった。言い換えれば、現代日本女性の結婚観は昔と違って、一定の年齢になってから必ずしも結婚するというのは絶対のことではなくなる。そして、いくつから結婚を焦る、またあきらめる気持ちが芽生えるのかを尋ねたところ、焦り始めるピークは30才、あきらめ始めるのは40才がピーク[175]であることが分かった。 結婚を焦り始める年齢は30才に向けて徐々に高まる傾向がある一方、結婚を「もうしないかもしれない」とあきらめる気持ちは35才で一度高まった後、40才でピークを迎える傾向を示した。未婚女性の結婚に対する気持ちは、5才刻みで大きな区切りを迎える様子が伺える。 新しい家族形式ができた。伝統的な「男は仕事、女は家事」という家庭とよく変わって、現代日本には結婚就職の女性の割合がすごく高まった。結婚しても夫に左右されないで、自分のゆく道を守りたいという女性が多くなって、経済とかいろいろな面で自立した。明らかに、女性は家庭内の地位も尊重も向上していった。つまり、お互いの尊重を元にして、結婚して一緒に暮らした夫婦が若い世代で多数になってくる。 離婚は普遍なことになって、盛年離婚や熟年離婚や各種類の離婚形ができた。女性の就職制度と女性権力の保障制度を整えたと伴って、経済力より、女性は自立でき、男性に頼らなくても生活できるようになった。夫が長年外で勤め、家事・育児や老人の介護全部妻に任せて、夫婦関係が冷たくなった場合、妻に対して、離婚は経済力からの圧力がなくして、わりに容易なことになった。
第三章 恋愛観と結婚観の変化原因 日本女性の結婚観の変化は、時代背景や社会思想などいろいろな面に、緊密に関連しているのである。現代社会では、女性思想の解放、外来文化の輸入、女権運動の発展を背景にして、日本女性はまず女は人間としての自覚を立て、自己意識が目覚めて、自由にいきいきと生きれる道を探している。それに、社会地位、経済地位、男女平等及び経済不景気の原因によって現代日本女性の結婚観の変化を起こしてきたと考えられる。 3.1女権運動の発展 1946年、日本政府は婦人権力の保護を《新憲法》に入れて制定した。日本女性は初めて選挙権力を得た[176]。これは、第二次世界大戦後、女権主義理論の普及と実践によって、女性の権力や社会地位などについて、社会的な考えが変わったからなのである。「女権主義」とは、女性が男女平等の権力を追求し、自分の価値を実現することである。つまり、女性の「自由」と「平等」を目標に、女性の体と思想を開放するために、女性の魅力や個性それに社会パーワを表現することに重視する女性思想、社会言論或いは政治協力行為のことである。 第二次世界大戦以後、日本の経済の発展について、日本の女権運動も激しく進んだ。明治四十四年、近代日本の思想家、評論家、作家女性解放運動家平塚雷鳥が『青踏』を創刊したのである。『青踏』の創刊号に載せていた平塚雷鳴の『女性は本々太陽である』と与謝晶子の『山動く日くる』は「女性の解放宣言」として「女性解放運動の先駆」[177]と思われていた。また、1946年に日本政府は婦人権力の保護を『新憲法』に入れて以来、日本女性の社会地位がどんどん高めて、自己意識を目覚めながら、社会や家庭内の役割を改めて考えていって、自我かつ独立な生活を追い求めてきた。大部分の女性は結婚相手を求めるときに、学歴や経済力などより、「家事・育児の分担・協力姿勢」「自分の仕事への理解と協力」、そして「お互いの尊重と理解」である。女権主義の発展と女性の自覚で、日本女性の結婚観に、相手の「経済力」や「地位」などの原因の割合は日々少なくなって、逆に、結婚後の生活形式とか相手からの尊重とか自分自身の権力の楽しみなどの面については重視している。社会的の男女平等だけでなく、家庭内で家事や育児且つ経済力や家庭地位さらに、思想上の男女平等まで求めている。 3.2経済力の変化 男女平等の普及と実践に基づいて、現代日本女性は伝統的な束縛から解放され、自我の社会価値や社会パーワを実現したいのである。もっと重要なのは就職条件は男女平等に向け、進んだ。労働関係には、男女が平等になった。従来、女性は職場において男性と異なる取扱いを受けることが多く、不平等な目が合わせた。労働条件の面での男女の平等の取扱いについては、労働基準法が男女同一賃金の原則などを企業に課しており、採用については、昭和61年に施行された『男女雇用機会均等法』によって女性の採用促進が図られている。これに伴い、女性は職場で、男性と同じような権力が持って、女性の就職は可能なことになってきた。こんな社会環境で、女性の就職率が高くなった。総務省統計局「労働力調査」について、女性雇用者の人数は1975年の1167万人から、2005年の2229万人になって、割合も32%から41.3%に至った[178]。且つ、結婚就職の女性は2005年に1258万人[179]で、半分以上である。 現代日本で、就職は女性にとって相当普通で、経済における自立できるし、家庭内の経済地位が高くなれる。経済力の高まりによって、結婚は女性にとって違う意味になった。結婚は愛情と幸福への追求で、結婚相手を選択するとき、「家事と育児の手伝う」「お互いの理解と協力」「愛情」は経済力よりもっと重要な条件になって、結婚相手を求める条件自由になった。経済レベルが高まるために、婚姻の奴隷になるまではならない。 3.3教育程度の向上 第二次世界大戦戦後、日本女性の社会地位は戦前と大きな変化ができた。教育は学制改革をして、男女同校しはじめ、かつ1946年に男女平等の入学を実施し、女性は男性と同じように高等教育をもらう権力を与えた。大学の授業は女性の就職観と人生観、価値観に影響を与え、女性の自立意識を高めて、社会の各分野に多くの実用的な人材を育成した。女性は男性に頼らない条件を持って、結婚に対する相手の条件に響いた。女性の学歴によって、結婚相手についての条件も違っている。結婚の条件は、女性の学率に応じて「生存」から「依存」、「保存」[180]と変化していた。高校卒の人で地方在住者は比較的に早くに結婚する。これは、地方で未婚女性は経済の原因だけでなく、精神的にも暮らしてはいけない。しかし、都会に在住していても、高卒者の労働条件は劣悪である。資格もなく手に職もなく、ただ高卒のだけで就職して自活するのは難しく、転職に転職を重ねて、しかも転職するごとに給料は下がっていく。これらの高卒女性にとって、結婚は生活財であり、結婚して初めて食べられるのである。高卒女性にとっては、結婚相手の経済力は強大な影響があって、伝統的な「三高」条件を持つ女性が多い。結婚は彼女たちにとって、「生存」である。 それに対して、短大卒業の未婚女性の多くは実に優雅な独身生活や自由なOL生活を楽しんでいた。それで、相手に対する条件は自分たちは専業主婦になるので、安心して子育てができるような給料を運んでくれる男性というのが最大の条件なのである。これは、「3C」と呼ばれ、つまり「十分な給料」「階層が同じかちょっと上」「家事を進んでやってくれる」のことで、英語では「comfortbale」「communicative」「cooperative」。かつての「三高」からは、高身長は消えたが、よく見れば、高学歴と高収入は消えていない。これは「低姿勢」「低依存」「低リスク」という「三低」とよく似て、家事の共同負担することとリスクの低い安定した職業を持っていることを誠実的に表している。短大卒の女性にとっては、結婚は「依存」そのものである。 さらに、四年制大学卒の女性には、専門職として就職した、いわゆる「勝ち組」[181]の女性は結婚相手の条件には「経済力は求めない。私が一生働くことを尊重して、家事に協力的な人であれば」。彼女たちは今の自分が結婚によって変わることを恐れていた。結婚に求めることはすなわち「保存」である。つまり、家族や夫に左右されずに、自我を持ち続きたいということである。そのため、結婚相手の条件は「家事と育児の手伝う」、「手を取り合う(お互いの理解と協力)」、「手をつなぐ(愛情)」と変ったのである。
第四章 恋愛観と結婚観の変化の影響 現代日本女性の恋愛が自由になって、そして、結婚観も女性本人の考えが十分に入るようになった。それに伴って、いろいろな問題も出てきたわけである。たとえば、女性の「売れ残り」、少子化問題、離婚と婚外恋などである。 4.1晩婚、非婚現象と少子化問題の増加 日本では、現在二〇代後半(二十五~二十九歳)の、女性の中には実に54%[182]が未婚である。1970年には、同じ年齢の女性は82%が結婚していた。1975年にも、97%[183]が結婚していた。昭和十六年から二十六年生まれの女性に対して、結婚していないでいることには、強い圧力がかかったのでる。それが今では、三十代前半の女性でも27%[184]が未婚である四人の一人が独身なのだ。平均初婚年齢という数字からみると。女性の場合には、1970年にも1975年にも二十四歳であったが、今や二十七.二歳に上昇している。この数字はスウェーデン、デンマークに次いで第三位である[185]。現代の日本女性は四十歳を直前に未婚女性は切迫と焦燥を感じるのである。 晩婚の結果は、第一子の平均出産年齢2001年は28.2歳で、晩産化の道をひた走っている。と言ったが、産科にいる妊婦の年齢で一番多いのは二十八歳の人でなく、「ものすごく若い妊婦」と「ものすごく年のいった妊婦」[186]の二極分化が起こっている。十代のママと四十歳のママがいて、「フツ―の年齢のママ」は、探してもあまりないというのである。女性が未婚であるということは男性も未婚であるということであり、男性の場合三十代前半の未婚率は43%に達している。三十代後半でも26%が未婚であり、五十歳の男性の一割以上が未婚もままである[187]。今後生涯未婚者が増加の一途を辿るのは不可能であり、日本は晩婚化国あるいは少子高齢国というより、将来非婚国に移行していくのである。 4.2離婚、婚外恋の増加 「単身赴任」や「仕事向上」や「自立意識」などで夫婦関係が冷たくなったときに、離婚届けを出す女性は増えた。日本の伝統的な結婚観には、女性はいつも忍んでいて、あるいは、子供のために、離婚を提出するのが少ない。現代社会では、とても違った。夫は仕事に集中していて、毎日仕事終わってから同僚たちと一緒に飲みに行ったり、家事や育児全部妻に渡していて、妻と交流が不足だりして、夫婦関係が破れるのが多い。この場合、現代日本女性は、経済でまたは子供のために、ひたすら我慢しない。今の既婚女性は自立する経済力も持っていて、昔よりもっと自我の幸福を重視している。そのために、現代日本社会では離婚率は年々増えている。また、1960年、日本で離婚する夫婦は7万組で、1980年には14万組になった。そして、厚生労働省の統計によって、2001年離婚の夫婦は289836組で、2002年はまた1.4%を上昇した[188]。日本家庭婚姻研究所によって、日本の離婚案件で、74%[189]は女性から提出するのである。 夫婦関係の冷淡のもう一つの影響は婚外恋が盛りになる。日本は「婚外恋の国」と言われて、夫の浮気であるいは夫婦関係が冷たくなったから、純愛が憧れ、愛人を作ることを通じて、再び情熱な愛情を探す女性を主人公とする文学作品が多いことから見られる。
おわり
本稿は日本女性の恋愛観と結婚観の変化を中心に、その変化の原因を探してみた。その原因は女権運動の発展、自我の自覚、経済力の変化、教育程度の向上と社会環境の開放という四つの点と総括しておいたのである。それから、恋愛観と結婚観の変化に基づいて、物質婚姻の代わりに、精神婚姻を追及するとなるという現象を論述してみた。伝統的な女性結婚観とずいぶん違って、現代の日本女性は伝統的な女性の道徳や結婚退職や「女は家事・育児」など女の天職に反対して、結婚に縛られたくないで事業のため精一杯で働く態度をとる傾きがある。そのうえ、自己価値と社会価値の実現に努力していて、社会と家庭内の男女平等を追いかけている姿勢が見られた。最後、現代日本女性の結婚相手を求める条件と結婚観の変化に伴って、日本社会で女性をめぐる問題が多く持ち込んだ。たとえば、晩婚・非婚問題、少子化問題及び離婚問題など、という深刻な影響がもたらされている。 さて、本稿では悪い影響をどのように防ぐか、現代の日本女性の結婚観に対してどのように導くか、という問題にまだ及んでいない。単に女性のことに関する研究のわずかな部分である。これから、これのような興味深い問題を更に深めようと思われる。
謝 辞
この論文が完成する運びになったのは、斉先生からご多忙中にもかかわらず、貴重なご指導をいただきによるものであり、これも「他力」の働きだと感謝せざるをえない。またこの論文が最初からの階段から、進行中終始熱心に励ましてくださったいろいろなかたかたに、心からお礼申し上げたい。
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