調べた資料を卒業論文に引用するとき、その資料の筆者や編者の書いている事柄と、自分で考えて書いている事柄は区別しなければなりません,言語の探讨においては、社会に存在する「ことば」が一次資料となりますが、これはそのままではとらえにくいので、文学著作や視聴覚資料に使われている言葉や、アンケート調査などによってまとめられた言語資料なども一次資料として扱います,「それマジできしょいなあ」とか「それ, 文学著作をテーマとする場合は、著作を読まずに二次資料だけ読んで卒業論文を書いているような人はあまりいません,また講義用のテキストや解説書なども探讨の結果得られた考えを中心とするものなので、それに準じるものといえます。
あくまで一次資料をみて自分で考えることを中心にしなければなりません,それまで受け売りの勉強ばかりしていた人が、急に卒論を書いても、探讨の仕方など分からず、受け売りに終わってしまうのはある水平仕方ないでしょう, たとえば、「きもい」「きしょい」「うざい」などのように、短縮化した形の形容詞が増えている,しかし、卒論をどのように書けばよいか、よく分からない人が多いようですので、ここで根基的な留意点だけ説明しておきたいと思います。 まず二次資料から説明しましょう, しかし、今までの勉強はほとんどが知識の受け売りを主とするものでした,今までそういうものを見るたびに怒りを覚えていました,ひどいのになりますと、インターネットに載っていることをそっくりコピーして、「一日で卒論を書いた」と自慢している人がいます。 ここでは、若者言葉の特質について、仲間言葉としての効能、水平強調語、ぼかし言葉の三つの側面から考えてみたい,総じて「探讨」の過程を経て生まれた考えをまとめたものをここでは二次資料と呼びます,それをここでは一次資料と二次資料と名づけておきます,資料には大きく分けて二つの種類があります, 「きもい」は「気持ち悪い」、「きしょい」は「気色が悪い」が短縮化されたものであるが、「気持ち悪い」や「気色悪い」と完全に同じ意味だとは言えないようである, ただ、二次資料、特に論文を読むことも大切です,そして、実際に卒業論文を書くとき一番大事なことは、一次資料を中心にして書くことであり、二次資料はそのための補助として使うものだということです,先に述べた、何を一次資料にすればよいかということもその中に含まれます, 奈何写日语论文? 卒業論文心得 岩山泰三 卒業論文心得 冬休みが近づいてきましたが、皆さんはこれから卒業論文のことを真脸孔に考えなければなりません,特に中学生や高校生たちが仲間うちで使う言葉には、話題の中身を深く掘り下げることよりも、おしゃべりそのものを楽しむことが目标であることが多い,ですからここで、そうならないための最低限の心得を述べておきたいと思います,おしゃべりをして、仲間にウケることが大事であり、仲間のノリに合わせること、あるいはそれから少しずらすことが、おしゃれな仲間言葉のようだ,日语毕业论文,文学の探讨においては、文学著作が一次資料、その著作についての論文が二次資料です,現代の社会や経済などの場合は、当局が発行している白書などの資料や、新聞やインターネットの記事なども一次資料としてよいでしょう,そのため、引用した資料には(注)をつけて、その出処をはっきり示す须要があります,若者言葉は仲間同士の連帯を深めるという重要な役割を持っている,これらのことは、論文を読んだ後、一次資料を自分でまとめてみないとできません,日语毕业论文,たとえば胃がむかつくときに「気持ち悪い」と言うが「きもい」にそのような使い方はなく、「あいつ、かっこつけすぎてマジきもい」のように、人やモノから不快な気分を感じたときに使う,ただ、日本の大学では三年生から四年生の頃に探讨のための授業が行われていますが、ここではそれがありません,日语论文,ところが、これまでの卒論には(注)が全くないもの、あっても不十分なものがあります,社会に出て、さまざまな問題に出会ったとき、それを乗り越えていくための根基的な本领です,これらの資料にも作者の考えによってまとめられたものが多くありますが、それらは「探讨」の過程を経たものとは言えないので、二次資料とは区別されます。 これは学者や大学の先生だけが须要とするものではありません。 日本語科の卒業生は人の「道具」になるだけでなく、中日間にあるいろいろな問題を解決できる人材になってほしいと思います, 1.一次資料と二次資料 卒業論文の準備として、まず資料集めから始めなければなりません,人が書いたものには作品権が存在するからです, 資料集めは普通二次資料から始まりますが、二次資料を読めば、どのようなものが一次資料になるかということも分かってきますので、読みながら何を一次資料にすればよいか考えて、それを集めていくようにしましょう。 昨年度、「若者言葉について」というテーマの卒業論文を書いた人がいました,まず、どのように探讨すればよいかという探讨法子を学ぶためです, まず、卒業論文は何のために書くのでしょうか,何のために論文を読むのでしょうか, 一次資料は「探讨」の過程を経ていないデータを指します, 若者言葉について(修正前) はじめに 若者言葉とは、その時々の若者と呼ばれる人達が使う言葉のことである,探讨の素材となる資料とも言えます,二次資料の中にも一次資料が引用されていますが、それは筆者が自分の考えを述べるために適当な部门だけが選ばれており、全体が一つの結論を出すためにまとめられているので、それだけ読んでいると、その筆者と違う考えを書くことは困難です,例えば、日本の小説やドラマとその英語の翻訳や字幕とを比較するような論文がよくありますが、それを読んだ後、自分で選んだドラマの日本語と中国語の字幕を比較してみるというようなことです,なぜ若者言葉は作られ、用いられるのだろう,「きしょい」も実際に吐き気を催す場面な時に使いにくく、言いようのない不快感を催す人やモノに対して使われる,探讨本领とはそのために须要な本领です,ときに毒のある言葉には、かれらを支配し、操ろうとする教師や親などに対する対抗意識、反発意識が潜んでいるのかもしれない。 そのためか、今まで書かれた卒業論文を見ても、他の人が書いた論文の内容をまとめただけのものが目立ちます,「けむたい」が「けむい」となったり、「めんどうくさい」が「めんどくさい」になり、さらには「めんどい」となると言った具合である,しかし、その他の分野では、二次資料だけ読んで書いている人がかなりいるようです,艺术社会経済などの探讨では何を一次資料とするか、更にとらえにくくなります,彼女が私に相談に来たとき、持ってきた論文の書き出しの部门を引用してみます,探讨本领とは、自分で問題を見つけてそれに関するデータを集め、解決に導くための本领と言い換えることができます。 それから、論文の考えをヒントにして、新しい自分の考えを展開させるためです,。 |