「かわいそう」をめぐって 吉川 武時 洪水で家をなくしたり肉親をなくしたりした人のことを「かわいそうだね」と言ったら、学生に「なぜですか」と言われた。いくら価値観の異なる国から来た学生でも、家や肉親をなくした人のことを「かわいそう」と思わない者はいないはずだ。「そうですね」という反応を予想していたのに、「なぜですか」と言われて、すごくとまどった。
学生は伝聞の「そう」と様態の「そう」を習う。伝聞の「そう」とは「雨が降るそうだ」の「そう」のことである。様態の「そう」とは「雨が降りそうだ」の「そう」のことである。前者は叙述形に付く。後者は動詞の連用形に、形容詞、形容動詞の語幹に付に付き、全体で一種の形容動詞となる。
伝聞 雨が降るそうだ 叙述形に付く 様態 雨が降りそうだ 動詞の連用形に付く 動詞に付いた場合は予測、切迫、未発などの意味になる。 (『日本語文法入門』p.178~) 「そう」が形容詞に付いたときの意味が本来「様態」と言われるものである。
おいしい おいしそうだ 悲しい 悲しそうだ 丈夫だ 丈夫そうだ 「おいしそうだ」は「おいしいように見える」、「悲しそうだ」は「悲しいように見える」という意味である。これらはみな「~ように見える」と言い替えられる。これが本来の「様態」の意味である。
学生は略论能力にすぐれている。「かわいそうだ」は「かわいい」に「そう」の付いたものと略论する。そして、「かわいそうだ」は「かわいいように見える」 という意味と解釈する。これはごく当然のことである。だから、家や肉親を失った人のことがどうして「かわいいように見える」のか不思議に思って「なぜですか」と聞いたのだ。学生が「なぜですか」と質問する理由が分かった。 「かわいそうだ」を「かわいい」に「そう」の付いたものと略论してはならない。我々日本語ネイティブも幼いころ「かわいそうだ」がどうして「哀れな」という意味になるのか、不思議に思ったに違いないが、もう忘れてしまっている。このように、類推すると失敗してしまうような語は他にもあるだろう。 ,日语毕业论文,日语毕业论文,日语论文 |