吉川 武時 はじめに 三十数年前、学院の一般語学で中国語を学んだ。一般語学というのは1週間に2コマしかなく、それで中国語が身についたというわけではない。以前は中国語のことを「中国話」と言った。現在は「中文」とか「漢語」と言われている。以前は「八月三十一号星期四」という言い方を習ったが、今は「星期四」の代わりによく「周四」という言い方をする。前には「礼拝」という言い方も聞いたことがある。三十余年の間に中国語に変化が起こった。 単語だけでなく、文法の説明も変わった。前に中国語を習った時、 「[どこそこ]へ行きます」は「上[どここそ]去」となる、 「上」は「へ」に相当し、「去」は「行く」に当たる と教えられた。今の初級中国語の本を見ると、「上~」とも「去~」とも言えると説明してある。前にこの言い方は習わなかった。「上~去」という言い方は前も今の使われている。ただし、この語句の略论法は前に習ったのと同じではない。「上」を「行く」、「去」を方向補語と説明している。 以前の説明 上・・・・へ 去・・・・行く 現在の説明 上・・・・行く 去・・・・方向補語 前の初級中国語の本は「上~」とか「去~」というこの簡単な言い方をなぜ教えなかったのだろうか。これは、一般の他動詞の構文(SVOの構造)と同じである。 (S=主語 V=動詞 O=目的語) 「行く」のような自動詞の場合と一般の他動詞の場合が同じでは具合がわるいと思われたのだろうか。 現在の『初級漢語課本』では次のように説明している。 動詞「来」「去」は具体的な動作を表す他に動作の方向をも表す。 「来」は動作が話し手に向かって行われることを表し、 「去」はその反対の意味を表す。 そして、「出来/去、帯来/去、過来/去、換来/去」などの例をあげている。この中には、日本人にとってすぐ理解できるやさしいものと、理解しにくい難しいものとが混じっている。どういうものが簡単に理解でき、どういうものが難しいのか。中国語学習の経験から、また日本語の動詞の分類の観点からこれを考えてみよう。 (1)[移動動詞]+「来、去」は理解しやすい 以下の議論では「~来」だけを例にとるが、「~去」としても、方向が変わるだけで大筋は同じである。「出来 回来 進来 上来 下来 過来」などは非常に理解しやすい。なぜかと言えば、前の動詞(出、回、進など)が移動を表すもの(移動動詞)だからである。 「走来 爬来」なども非常に理解しやすい。これも移動動詞だからである。 前者と後者の区別は、前者が方向性のある移動動詞、後者が方向性のない移動動詞ということである。 方向性のある移動動詞とは、「~へ --」と言えるもの、 方向性のない移動動詞とは、「~へ --」と言えないものである。 例えば、「学校へ もどる」とは言えるが、「学校へ 歩く」とは言えない。「学校へ 歩いて来る」あるいは「学校へ 歩いて行く」としなければならない。(『日本語動詞のアスペクト』p.212-213 参照) (2)移動動詞でなくても主体移動の場合は理解しやすい 「帯来 拿来(持って来る)」はどうか。「帯、拿」は移動動詞ではない。しかも他動詞である。話し手の方へ近づくのは何かと考えると、これは主体および対象である。これは他動詞であるが、主体が移動することを表すのでそれほど理解困難ではない。ここで「主体、対象」というのはそれぞれ主語の表すもの、目的語の表すものという意味である。以下でも同じ。 (3)対象移動の場合は理解がやや困難 「寄来 (送ってくる)」はどうか。これは主体は移動せず、対象だけが移動する意味を表している。移動するものが主体から対象に変わると理解度が一段落ちる。つまり、理解がやや困難になるのである。 (4)[他動詞]+「来、去」は理解しにくい 「找来 買来 借来 要来 写来」などは、「找、買、借、要、写」が移動動詞ではないから、理解するのにちょっと戸惑う。それにこれらの動詞は他動詞である。「来」は話し手の方向への移動を表すといっても、何が移動するのか、ちょっと分かりかねるのである。これらの動詞結合の公式的な訳語は「~て来る」になる。つまり、機械的に「~て来る」と訳すのである。「探して来る 買って来る 借りて来る もらって来る 書いて来る」。しかし、これらの意味はどういうことかと考えてみると、「~て、そして来る」という意味であることが分かる。筆者の「てくる」の意味の分類の(a)の1にあたる。つまり、一般の動詞の場合である。(『日本語動詞のアスペクト』p.201 参照) なお上の「要」は、「~が必要である」という普通の意味ではなく、「もらう」という意味になるので、さらに理解が困難になる。 (5)最も難しい「叫来 請来」 |