译文:往来的日本庭院的艺术史-以对乔赛亚•康德的日本庭院论的考察为中心-
原文:往還する日本庭園の艺术史-ジョサイア・コンドルの日本庭園論の考察を中心に-
译文:这是从来自康德的涉及思想的文章里为数不多的引用,让我们从中验证对康德的思想的理解吧。作为日本的庭园家所表现的情感被列举的是隐逸,长寿,幸福,谦让,忠诚,品格,良缘,想考证一下这些词的典据。「隐逸」,「长寿」,「幸福」,「谦让」,「老境」是与道教有关的,而「忠诚」,「品格」和「良缘」是与儒教有关的概念。由这些概念所想起的,不管是道教也好,儒教也好,都是中国的思想。为什么,或者说康德是如何引用这些概念,以及是把什么当做典据的呢?为了确定这些,资料极为有限,不会超出推查的范围的情况下,作为导入的原因有两个可能性。第一,可能是康德处在流行中国风格的作用下的英国,获得了中国庭院的思想背景的知识。第二,是康德从参阅的江户时代的文献中原样引用的可能性。虽然在江户时代,作为庭院的思想背景,使道教和儒教被以混合的形式作说明的可能性不能完全被否定,很可能康德就是把这作为典据的。虽然,确定原因究竟是哪一个很困难,可这里重要的是,在造型上明确区分的日本庭院和中国庭院,而在对思想的理解却处于未分开的状态。从康德的这篇文章中,我们能领会出人们对日本庭院造型的理解和对思想的理解产生了时间间隔。虽然,明确这一点是今后的课题,可是,日语论文,在十九世纪末,英国兴起的对日本庭院造型的兴趣高涨,可以说表示出的未必包含思想背景吧。
原文:思想について言及している数少ない箇所からの引用であるが,ここからコンドルの思想に対する理解を検証してみよう。日本の庭園家が表現する情感(センチメント)として挙げられているのは,隠逸,長寿,幸福,謙譲,忠誠,品格,良縁であるが,これらの語の典拠を考えてみたい。すると,「隠逸」,「長寿」,「幸福」,「謙譲」,「老境」は道教に,そして「忠誠」や「品格」,「良縁」は儒教に関連する概念であることがわかる。これらの概念から想起されるのは,道教にせよ儒教にせよ,いずれも中国の思想である。なぜ,あるいはどのようにコンドルはこれらの概念を引用することになったのか,また,何を典拠としたのだろうか。これらを特定するには,資料が限定されており,推察の域を超えるものではないが,導入の経緯として二つの可能性を挙げてみたい。ひとつは,日语论文,シノワズリーの影響下にあったイギリスで,コンドルは,中国庭園の思想的背景として知識を得たという可能性。二つ目として,コンドルが参照した江戸時代の文献からそのまま引用した可能性である。江戸時代のに,庭園の思想的背景として道教と儒教が混合された形で説明がなされていた可能性は否定しきれず,コンドルがそれを典拠したことは十分考えられる。どちらであるかを特定するのは困難であるが,ここで重要なのは,造形上は明確に区分されていた日本庭園と中国庭園は,思想に対する理解においては未分化の状態であったという点である。日本庭園の造形に対する理解と思想に対する理解のタイム・ラグが生じていたことが,このコンドルの一文からは読み取ることができる。この点を明らかにするのは,今後の課題であるが,19世紀末のイギリスで興った日本庭園の造形への関心の高まりには,思想的な背景が必ずしも含まれていなかったということを示しているといえるだろう。
译文:对康德的思想性关心的程度从论述有关历史有关的记述以及介绍实际存在的庭院的地方也可看出。在康德的论文中,涉及到了室町时代,可是对照从该论文发表三年之后出版的横井时冬的《园艺考》(1889)——该作品中也有对于历史的一个章节。康德向横井学习,在日本史添加了庭院的变迁,把镰仓时代,室町时代和江户时代看做了重要的契机。但是,在康德的历史的说明上,几乎没有触碰到思想性的内容。
原文:コンドルの思想性への関心の度合いは,日本庭園の歴史に関する記述と実存する庭園を紹介する箇所からもうかがうことができる。論文では,コンドルは室町時代に言及しているのみだが,論文から三年後に出版された横井時冬の『園芸考』(1889)を参照し,著書では歴史に関して一章があてられている。横井に習って,コンドルは日本史に添った庭園の変遷をまとめ,鎌倉時代と室町時代,そして江戸時代を重要な契機とみなしていた。だが,コンドルの歴史の説明において,思想性に触れられることはほとんどなかった。
译文:康德介绍了所谓镰仓时代,根据佛教僧们的说法,是庭院艺术发展时期。虽然他说明了“石组,被赋予了想象上的宗教性的、道德性的性质,以为了表示佛教界的众佛的方式被排列。”可他并未涉及佛教的教导和道德的教导的内容是什么,以及是怎样用石头表达的等等问题。此外,在室町时代,庭院艺术更加发展,在茶道中也有很大的作用的庭院史观,虽然通过论文和书籍被强调,可是思想的影响方面并未被触及。以那个时代的有名的庭院做例子,龙安寺、大德寺芳春院、银阁寺、金阁寺等禅宗寺院都被介绍了,可是论文注重了各种各样的庭院的构造和岩石的形状,以及石组和灯笼的布局等等的说明,却并没有做与禅的思想有关的说明。另外,论文涉及到了枯山水的诞生。介绍了枯山水是表现水的风景和自然的风景的样式,根据佛教僧们的说法,通常,建筑措施等都包含了神秘,可文中并没发现特别言及思想的内容。文中有指出多数的京都的庭院都被破坏,被置之不理的地方,实际上,康德不可能造访观察这些庭院,基于通过文献和人所得的知识来记述历史的可能性很高。值得一提的是他在与寺院庭院有关的说明上,对于佛教的思想和禅的解释一概不涉及。
原文:鎌倉時代とは,仏教僧たちによって庭園の艺术が発展した時期と紹介し,「石組は,想像上の宗教的で道徳的な性質を付与され,仏教界の仏たちを表すよう配列される」と説明しているが,仏教の教えや道徳の教えの内実とは何か,それがどのように石によって表されているのかなどにはコンドルは踏み込んでいない19)。また,室町時代に庭園艺术がもっとも発展し,茶の湯の影響も大きな役割を果たしたという庭園史観は,論文と著書を通じて強調されているのだが,思想の役割については触れられていない。この時代の作庭例として,龍安寺や大徳寺芳春院,そして銀閣寺や金閣寺など禅宗寺院が紹介されているが,それぞれの庭の構造や岩石の形状,そして石組や燈籠の配置などの説明に重きが置かれており,禅の思想に関する説明はなされていない。また,枯山水の成立に触れ,水の風景や山の自然の風景を表す様式であり,通常,作り方などは仏教僧たちによって神秘に包まれていると紹介しているが,特に思想についての言及は見いだすことができない。京都の庭園については,多くが破壊され放置されていると指摘している箇所もあり,コンドルが実際に庭園を訪れて観察したとは考えにくく,文献や人を介して得た知識に基づき,歴史を記述した可能性が高いが,寺院庭園に関する説明において,仏教の思想や,禅的な解釈などについてはいっさい触れられていないのは特筆に値する。
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