太宰治《人间失格》中“手记”的含意/
太宰治『人間失格』を読む―「手記」という戦略
摘 要
太宰治是日本无赖派小说的代表,被称为日本现代文学的先驱者。《人间失格》是太宰治的代表作之一,该著作也是太宰治写作生涯中最后一部中篇小说。被誉为是太宰治自画像式带有自传性的小说。《人间失格》形式上从不相关的第三者的角度入手,以老板娘推荐给“我”看叶藏的手记开始,到“我”读完手记结束,中间将叶藏写的三篇手记插入正文。内容上主要以三篇手记为主,主要是主人公叶藏对自己的一生自我告白。
本论文以太宰治的《人间失格》为探讨对象,主要通过对叶藏手记的略论,研讨叶藏写手记的意图和小说的主旨。首先在内容上,日语论文,通过叶藏在手记一中对自己童年时代的自我描述,日语毕业论文,略论叶藏的自我认识;通过手记二、三中叶藏对世间的讨好,略论叶藏对世间的看法,然后在手记的形式上,从自画像的角度入手关系时代背景,略论叶藏的真实写作意图。阐明作者观点如下:
叶藏在手记中的自我剖析在某种意义上是一种“自我反省”,对自己的“反省”也是对世间的“反省”。手记中对世间的“讨好”某种意义上是对世间的不满。手记的创作和自画像的创作过程相像, 并且手记最后从老家寄到了东京被小说家“我”发表,叶藏写这篇手记的真实意图其实是通过“手记”战略来还原人和世界的原貌,进而向世间发出最后的责难和实现自我出路的探求。
关键词:太宰治,人间失格,手記
要 旨
太宰は日本の無頼派小説家を代表する一人であり、日本現代文学の先駆者と称されている。『人間失格』は太宰治の代表作であり、太宰治作家生涯の最後の中編小説でもある。自画像式の自伝性のある小説と言われている。『人間失格』は形式上は、無関係の第三者「私」がマダムに葉蔵の手記を薦められ、手記を読み終わった後マダムとの会話で終わりになり、小説の中に葉蔵の三編手記を挿入する形となっている。内容上は、三編手記が主体になり、主人公葉蔵が「自分」の一生を告白するのである。
本論は太宰治の代表作『人間失格』を探讨対象とし、葉蔵の手記を略论し、葉蔵がこの手記を書く意図を明らかにしてみたい。まずは、手記の内容から、第一手記の幼年時代の自己略论から葉蔵の「自己反省」を明らかにする;第二、第三手記の学生時代と青年時代に世間へのお道化から葉蔵が世間への読みを略论する。次は、手記の形式から、手記と自画像の関連から手記を書く意図を推測する。この二つのプロセスを通して、以下のような結論にたどりつく。
手記に書かれた自己略论はある意味で一種の「自己反省」である。自分についての「反省」は世間についての「反省」でもある。手記に描写された世間への「お道化」はある意味で世間に対する不満である。手記の創作過程は自画像の創作過程に似ていて、葉蔵がこの手記を書く意図は、「手記」という戦略で、「人間」と「世間」の本性を表し、世間に対する非難と絶体絶命の自己主張の目的を実現しようとするのであろう。
キーワード:太宰治,人間失格,手記 |