积极的中国隐者与消极的日本隐者-以《感士不遇赋》和《方丈记》为中心//开题报告/文献综述
積極的な中国の隠者と消極的な日本の隠者-『感士不遇賦』と『方丈記』を中心に
要 旨
周知の通り、中国の隠者文学と日本の草庵文学は両国それぞれの文学史に於いて特別な現象として、大いに注目を浴びている。
隠逸詩人と謂われる陶淵明は、西晋の末年(興寧三年;365年)に生まれ、東晋の滅亡後七年で(元嘉四年;427年)世を去った。ちょうど東晋と時代をともにした人であるといえる。陶淵明の隠遁生活は、彭沢県の長官をやめた四十一歳の秋から、六十三歳で死ぬまでの二十年余りの長きにわたっている。
鴨長明(1155~1216)は平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家である。鴨長明は1204年50歳にして、すべての要職を捨て、突然出家をしてしまった。出家の後、1212年に成立した「方丈記」は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。
隠遁文学は中日の古典文学において重要な地位を占めている。隠遁文学を通じて、ある時期の艺术や文字の特色を反映することができるだけではなく、その時代の社会の特色および知識人の思想を反映することもできる。つまり、歴史艺术および社会政治に対する探讨には重大な意味があると思う。中国の「隐逸诗人之宗」と称される陶淵明と日本文学に於いて「隠遁文学の白眉」と呼ばれる鴨長明も各自国家の隠遁文学において重大なカギを握っている人間である。陶淵明と鴨長明二人も各自の国において、隠者としても、詩人としても、名高くて、代表性を持つ。両者の出身、境遇などには共通点がいろいろある。この二人の名人を比較しながら探讨することは、有意義のことだと思う。
陶淵明について、或いは、鴨長明についての探讨には既に数多い成果がある。陶淵明と鴨長明を比較しながら探讨することを中心とした先行探讨が少ないため、本稿は新たな視点で時代の背景、著作に反映された思想などの側面から二人の名作(「感士不遇赋」と「方丈記」)を比較しながら解読しようと試みる。本探讨を通して中日隠者や隠遁文学に関する理解を深めることができるだろう。
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