広州学院外国語大学即席作文コンテスト 名前 谢 曦 クラス 04級 自由命題本论文由无忧论文网整理提供 テーマは自分で決め、内容は何でもいい。自分の書きたい物事を書いてください。 有声と無声 まだ忘れていないが、二年前、学院の入学試験のことだった。国語の試験の作文テーマは交流に関するということだった。当時頭はぱっと、空白になってしまった。試験前にきちんと用意しておいた内容ではなかったからだ。心細くて、時間も足りなくて、結局、とても低い点数になってしまった。その試験は失敗に終わった。 あの時は、私の人生で初めて「交流」という問題について考えはじめたのだ。二十歳の私は今まで、いったいどのくらいの話をしたか、誰もわからないはずだ。私たちは毎日毎日たくさんのことを言うからだ。 「言葉」というものは人間のコミュニケーションにおいて重要な役割を果たしている。欠かすことのできないほど大切な存在である。誰も想像できるはずだ。人間の日常会話を通じて必要な情報を伝えることができる。例えば、「今日の会議は何時ですか」、「三時かなあ」のように言葉がなければ、どのようにコミュニケーションすればいいか。つまり、人間のコミュニケーションにとって、音声での交流は大切である。 けれども、交流ということは音声のやりとりだけで行うのでは、なかなか足りない。辞書を調べると、コミュニケーションの概念は「社会生活を営む人間の間に行われる知覚、感情、思考の伝達、言語、文字、その他の視覚、聴覚に訴える各種のものを媒介とする」ということだ。 最近、私は音声を抜きにして、このような方式もいい交流措施だと考える。よく人が電話で話した内容を聞いた後、面白くて思わず笑い出してしまったことがある。 例えば、このような女の子の話。「もうこれから二度と会いたくない!」、「あなたが大嫌いだ!」、「余計なお世話だ。どうせ貴方には関係ないから!」。その女の子の顔を見て、すぐ分かったことは彼女が威張っている。実は、女の子はとても彼氏のことが好きでたまらなくて、けれども、そのまま率直に自分の気持ちを言い表したら、恥ずかしいので、本当の気持ちを心に隠して、正反対のことを言い返してしまったのだ。このような現象に気づくと、私は「実は、音声での言葉の交流は偽ったこともあるのではないか。」と考えるようになった。 多分、誰でもそのような経験があると思う。威張っている、或いは強がっているのは、ただ本当の気持ちを潜めたがっているからだけだ。 時には、自分の気持ちをどうしても言葉で表せないこともある。うれしい時も、悲しい時も、胸にあふれている感情はなかなか表せないので、いらいらする。この時はどうすればいいのか。 何もいわないで、黙っていて、沈黙を守ることにしよう。本论文由无忧论文网整理提供 「沈黙は無力なことである」という考え方をもっている人が少なくないが、私はそうとは思わない。恋人同士の間では、言葉はたくさんは要らない。ひとつの目つきだけでいい。仲のいい友達同士も、互いに何を考えているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、相手の微笑からもすぐ分かる。親友だから。 父親と母親も普段あまり話し合わないけれども、彼らの仲はよくないとは言えないだろう。人間の交流はとても微妙だ。 どんなに華やかな言葉でも人の感情を表せない空白なところもある。それはひとつの欠点である。何もいわないで、たった一つの目付けだけでも、豊かな感情が伝えられる。その空白を埋めるのは無声での交流である。無声だからこそ、かえって人間の感情をよく伝えられる。それは音声のコミュニケーションの欠点を補うことができる。 世間はいろいろな騒音に満ちている。人々はそれに疲れる。もっと静かで、穏やかな交流が望まれている。 本当は、コミュニケーションは有声と無声の二つの部分からなっているはずだ。音声でのコミュニケーションばかり重視してはそれは不十分なことだ。実際に数字、データなどを伝える時、音声が必要かもしれないが、一方、人の感情の交流の場合だったら、それに無声交流を加えたら、きっと一段とよく交流できるだろう。 有声と無声とをうまく合わせながら、人と交流したら、必ず新たな交流レベルに至ることができるものだ。 日本語学部の張敏生先生の評語: |