私が有島の文学に触れたのはその『ある女』から始まったのである。激しい筆致と小説全体における切迫感がとても印象的だった。それをきっかけに有島の著作及び今までの作家探讨に興味を持つようになった。有島の一読者として、まずその著作に出てきた自然、特に北海道の荒々しい風景に対する描写に深い感銘を受けた。有島の文学における自然は徳富蘆花の描き出したロマンチックな自然ではなく、国木田独歩の「繊細の詩眼」を持って、観照した「幽寂な」自然でもない。それはどうなのかについて、今まで日本では「有島は自然描写がうまい作家だった。その描写は東洋画風ではない、あくまで西洋近代絵画の迫力を持っている。客観描写に似て必ずしもそうではない」や、「視覚ばかりでなく、音響に対する感受性も極めて鋭敏であった」などと主観的な感想が多いが、具体的に略论したものはあまり見られないようである。それについて検討を進めていくと、おもしろくて、やりがいがあるのではないかと、いっそう興味をそそられた。 したがって小論はまず作家の成長過程を辿り、有島自身がいかにして自然を取り入れたか、それから著作の中で、どのように表現しているのかなどを略论してみたい。こういう略论を通じ、有島及び有島文学における自然の完成を浮き彫りにさせたい。 劉立善の著した『日本白樺派と中国作家』は遼寧学院出版社によって出版されている。 松浦武.『近代小説の表現』三.教学出版センター,1995.P112 安川定男.『作家の中の音楽』.桜楓社,1998.P61 |