范文/台湾統治初期の「国語」教学をめぐる考察[日语论文]

资料分类免费日语论文 责任编辑:花花老师更新时间:2017-04-13
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台湾統治初期の「国語」教学をめぐる考察
―『台湾教科用書国民読本』にみられる特異性―


目次
序章 ………………………………………………………………………………………… 2頁
第1章 台湾統治と「国語」教科書
第1節 台湾統治のはじまり ……………………………………………………… 4頁
第2節 教科書の機能 ……………………………………………………………… 5頁
第3節 統治初期教学体系と台湾「国語」教科書 …………………………… 6頁
第2章 「国語」創出と「国語」普及のパラレル
第1節 「国語」と「日本語」 ………………………………………………… 10頁
第2節 「国語」以前の日本の言語状況 ……………………………………… 11頁
第3節 言文一致会と国語調査委員会 ………………………………………… 12頁
第4節 上田万年と「国語」、「標準語」 ……………………………………… 14頁
第5節 「国語」創出と普及の同時進行、そして『台湾教科用書国民読本』
……… 16頁
第3章 台湾統治の苦悩
第1節 「同化」の概念 ………………………………………………………… 17頁
第2節 台湾統治とその意味 …………………………………………………… 18頁
第3節 「国家統合」の次元 …………………………………………………… 19頁
第4節 「艺术統合」の次元 …………………………………………………… 20頁
第 5 節 台湾統治初期に直面したジレンマ、そして『台湾教科用書国民読本』
……… 22頁
第4章 『台湾教科用書国民読本』の略论
第1節 『台湾教科用書国民読本』の概要 …………………………………… 23頁
第2節 構成と教授法―「応用」、「土語読方」、グアン式教授法― ……… 31頁
第3節 挿絵と台湾・「内地」のイメージ形成………………………………… 34頁
第4節 大日本帝国、天皇に関する記述 ……………………………………… 37頁
結章 ……………………………………………………………………………………… 40頁
参考文献・参考サイト ………………………………………………………………… 41頁
1


序章
 日本人として台湾についての認識を深めていくと、かつて日本が台湾を植民地としてい
た歴史がもたらす諸々の足跡に必ず出くわすこととなる。中でも最も容易に、かつ頻繁に
認知される足跡の一つが、現在も台湾言語社会に多くの日本語1が存続し、あるいは新たに
移入され浸透していることであろう。台湾では日本語学習も盛んであり、メディアやサブ
カルチャーの世界で日本語を耳にし、日本人として嬉しさや親しみを感じることもしばし
ばである。ところが現在台湾で出会う日本語には、日本人が何らかの違和感を覚えざるを
えない日本語がある。それは、日本統治時代に「国語」として日本語を学んだ世代の口か
ら出てくる日本語である。
 日本が台湾を統治したのは1895(明治28)年から1945(昭和20)年までであり、当時学校で
「国語」として習った日本語を現在でも話す世代は、おおむね70 歳代以上だろう。その世
代に該当し、日本でも広く知られている台湾人には、元台湾総統の李登輝、評論家の金美
齢などがいる。彼らの言動からは、かつて学校教学で「国語」として学んだ日本語が今も
彼らの中で息づいており、その精神の一面を担っているのが見てとれる。その世代の日本
語や、日本統治時代を語る生きた言説に出会うと、筆者は日本人であることから生まれる、
ある種の緊張感を持って耳をそばだてる。それぞれの日本語の習熟度、使用状況、日本語
を初等教学から学んだことが現在の言語生活に与えている影響、日本統治時代を回顧する
口調や感情はさまざまであり、そこで歴史認識の難点を思い起こすこととなる。歴史が語
られるとき、どのことばも真実の一端を述べてはいるが、それらを短絡的に受け止めては
ならない。なぜなら、一つの事象を伝える際に送り手・受け手双方にとって、必然的にい
くつもの価値判断や思想過程からの切り口があるため、われわれは常にそれらの文脈に注
意を払わねばならないからである。ある局面にだけ焦点をあてて、日本統治が台湾にもた
らした遺産を正負に分けることはできない。
 このような視点を持ち、台湾の高齢者が話す流暢な日本語から、彼らが子どものころに
学校で受けた「国語」の授業に思いをはせる。ところが21 世紀となった現在聞くことので
きる日本語は、日本の植民地統治基盤が整備された、統治後半期の「国語」の遺産である。
つまり、台湾統治政策の中枢としての「国語」教学が、すでに体系化されていた時期に習
った「国語」に源があるのだ。では、統治初期の「国語」教学は一体どのようであったの
だろうか。台湾は日本が初めて手に入れた植民地であることを考えると、そこで行われた
「国語」教学は安定性を欠いたものだったのではないか。
 台湾統治初期の統治諸相に関する先行探讨は数多くある。ただし探讨領域の違いにより、
あるものは植民地政策史探讨から、あるものは日本語教学史という視座に立って、またあ
るものは国語学の分野から台湾統治という事象の一端に切り込んでいく2。読む者はそれら
1 「日本語」と「国語」という用語については第2章で詳述するが、序章では無定義に使用
している。
 それぞれ例を挙げると、植民地政策史探讨としては駒込(1996) 、日本語教学史探讨とし
ては蔡(1989)、国語学探讨としては中田(2017)などがある。
 領域やアプローチの違いを理解し、各探讨で描き出されることを自ら整理し、つなげなけ
ればならない。こうして先行探讨にあたるうちに、湧き上がってきた二つの野望がある。
第一に、探讨領域の相違を越えてそれらを一つの論稿上で連結させたいということ。第二
に、統治政策や「国語」教学方針の変遷を辿り考察を深めるだけでなく、実際台湾の子ど
もたちが学校でどのような「国語」の授業を受けていたのかを理解したいということ。い
ささか壮大ではあるが、この二つの探讨目的をもって本論文に挑んだ。前者に関しては統
治初期に関する各分野の先行探讨にあたることとする。後者に関しては、100 年以上前の授
業の具体的様相を知る媒体として教科書を取り上げ、統治初期に台湾で使用された「国語」
教科書である『台湾教科用書国民読本』を略论することとする。
 すなわち本稿は、台湾統治が始まった1895(明治28)年からおよそ10 年間を対象とし、
そのあいだに行われた対台湾「国語」教学をめぐる諸相を、教科書略论を具体軸として考
察するものである。以下に本論考の章立てを記す。
 第1章では、日本が台湾を領有してから教学体制を整えていく過程を「国語」教学を中
心に記し、『台湾教科用書国民読本』を略论する前提の議論を述べる。これと同時に、統治
初期に存在した問題、つまり統治方針と「国語」の実体が不確立であったことを提起する。
続く第2 章では、明治初期から台湾領有前後までの「国語」が形作られていく様子を述べ、
『台湾教科用書国民読本』の言語的文脈を確認する。第3 章では、台湾に向けた植民地統
治の方針を決定していく議論を追い、『台湾教科用書国民読本』編纂のさらなる背景を考え
る。そして第4 章で、『台湾教科用書国民読本』の構成や内容、編纂の背景を略论し、第2
章、第3 章での検証と対照させ、『台湾教科用書国民読本』から見える「国語」教学をめぐ
る諸相を考察する。
 教科書を略论することで、当時の「国語」の授業をより具体的に知ることができると同
時に、略论結果を「国語」誕生史と植民地統治思想史という二つの観点から検証すること
で、『台湾教科用書国民読本』に投影された意義を浮かびあ

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