私たち人間の生活は、コミュニケーションで成り立っている。そのコミュニケーションを支えるのは「言葉」である。言葉は人間の生活に不可欠の一部である。周知のように、言葉は社会のことを反映している。それで、社会の発展につれて」言葉も変化に豊かむようになるものである。 若者言葉は現代日本語の一部として急に発展していて、ますます注目されてくるが、日本語そのものの研究にも、日常生活のコミュニケーションにも、大きな影響がある。「広辞苑第6版」[39]では、このほかにも「ニート」や「顔文字」など、会社現象や最新の技術などを反映して新たに生まれた言葉も大幅に追加したということである。 若者とは、一般的には二十歳までのより幅広い年齢層が含まれる。若者は、社会的な責任や義務を負わないので、社会と一定の距離を置くことができ、自分の見たことやきいたことによって、自分なりの考えがでてきて、成人の価値観を批判したり追従したりしている。若者は独自の文化を形成し、若者言葉はその「若者文化」を反映して、現代若者の特性を示しているというわけである。 一方、若者言葉は標準的な日本語から離れるところがあるので、争論を招くようになる。国語教育にの反省が必要だという声も出て来る。 拙論は住に若者の言葉についての概論と若者言葉から反映する日本の社会面など論じていきたい。
第一章 若者言葉とは
若者言葉とは,主として10代前半、20代前半の若い世代が日常的に用いる日本語の事である。一般的な日本語ではない特有の表現で、いわば共通語の語彙に入らない俗語として扱われる。言うなればスラングの一種であるが、中には30代以上の間でも使われるものもある。若者言葉は、現代に始まったことではなく、古くは清少納言の「枕草子」にも、当時の若者の言葉の乱れについて述べられている。70代,60代の方が若いときには、「シミ著炉」をいった。そもそも言語は、誤用の定着により変化してしまうことが往々にしてあるが、その変化の過程を共時的に捉えたとき、新しく出現した誤用は当然ながら既存の言語規範に反するものであるから、社会的に批判されるものである。そのような新しい世代が使いだした誤用を批判的に呼称したのが「若者言葉」であるといえる。 若者言葉とは中学生から三十歳前後の男女が、仲間内で、会話促進、娯楽、連帯、イメージ伝達、隠蔽、浄化などのために使う、規範からの自由と遊びを特徴に持つ特有の語や言い回しである。個個の語について個人の使用、言葉意識にかなり差がある。また時代によっても違う。若者言葉である。 若者言葉というのは、若者と呼ばれる年齢になれば必ず使うようになる言葉でなく,そのときどきの、若者と呼ばれる人たちが使う流行の言葉であり、若者でない、特に年配の人びとから、意味がわからない、日本語を乱しているなどと、おしかりを受けることの多い言葉である。 以下もまたこれまたになされた定義めいた指摘である。 1 同じ見なしている仲間同士でのみ用いられる。 2 フォーマルな場面では使われない。 3 話し言葉である。 4 ものによっては、かなり年輩の年齢層でも用いられているようだ。この限りにおいて「若者―」と言う命名はどうか、とも思われる。 5 言語を習得しやばかりの幼児、小学生の使う言葉のなかに含まれる。 6 一つの語彙が様々な意味を併せ持つのが一つの特徴となっているようだ。 7 その場の雰囲気、いわゆる「ノリ」が大切にされる言い回しである。これも、「仲間うち」で使われるということを象徴している。 8 若者言葉として定着するには、「語の意味の深さ」「使用場面の広さ」が必要である。この場合、定着というのは、高年齢にも使用されたり、すくなくとも意味が理解されていることを示す。 9 読み書きとは関係ない事柄について用いられる。
第二章 若者言葉について
2.1若者言葉の歴史と背景 若者言葉について多くの研究、著書をもつ梅花女子大学の米川明彦教授[40]、その著書「現代若者ことば考」(丸善出版事業部、「若者ことば辞典」(東京出版社)の中で、若者言葉は「個人が様々な束縛や規範から解放され自由になった日本の近代化の中で生み出された」と分析する。明治時代の学生ご「コンバ」、「万年床」などは、今日でも定着している。文末に「てよ」「だわ」をつける「てよだわ」言葉はそれまで下町や芸妓の言葉で、明治後期に女子学生に広まった。さらに男子学生の「君」「僕」などを使用、批判されていた。こうみると、若者言葉はその時の時代を対象として批判することがわかる。特に束縛の多い女性には、その反発から生まれる言葉はおおかったようである。 80年代になると、女性の地位の向上とどもに、OLや女子大生などの若い女性が流行語の発信源となった。90年代の若者言葉の作りても若い女性だったが、80年代よりさらに若い、女子高校生が流行語をうみだした。それに、90年代の若者言葉の大きな特徴は、通信技術の発達が若者ことばに深い影響を与えていたということである。Eメールとか、MSNとか、携帯電話とかのインターネット用語や電話用語などが今の若者言葉を作り出してきている。また、漫画やドラマなどから出た言葉も若者言葉の一部である。 若者言葉の最も大きな目的というと、やはり仲間意識を持ちたいと言うことである。若者が省略語を使うのも、仲間だけに通じる言葉を使って仲間意識を持ちたいのである。さらに、強調語を使って、自分たちの気持ちを強く訴えたいのである。しかも、気持ちの方も、普通の言葉で伝えるのではなく、擬音語などですごく感覚的に伝えたいのである。また、古語や方言や語呂合わせ言葉を使って、遊びたい心や笑いを取りたいという欲求を満たしているんである。また、若者たちは傷つきやすい年頃であるため、わざと「~系」などと接辞「系」をつけ、あいまいに表現し、傷ついたり、傷つけたりするのを防御している。こんなふうに若者言葉を使うのは、若者たちの目的がちゃんとあるからである。
第三章 若者言葉の種類
若者の言葉を形の面から見ると、主に4種類にわけられる。第1に、「仲間言葉」と呼ぶことである。次に、「キャンパス言葉」ということである。それは「仲間言葉」の一種であるが、大学の中だけで通じる言葉という特別な点がある。第3に、「程度強調語」とようことである。最後に、「てるてる言葉」ということである。これは若者だけでなく、現代日本語の中でもたくさん使われている。 「仲間言葉」は言葉の機能の面を捉えている。外の人には聞かれたくないようなことを話題にし、秘密など相手に伝える時に使う。つまり、仲間意識を強める働きをもっている。仲間うちで使う言葉には、話題の中身を深く掘り下げることよりも、おしやべりそのものを楽しむ事が目的であることが多い、時に教師や親などに対する対抗意識、反発意識が潜んでいる。仲間言葉はまるで暗号のようである。 「キャンパス言葉」は大学生が大学生としての生活をしているうちに出てくるものであり、これも大学生としての一体感をもつのは当然である。たとえば、大阪外国語大学では、そんな会話実例がある。「今日、放課後。トショるへん?」。「トショる」は「図書館に行く」ということである。言葉を短縮して「る」をつける方法は便利である。ニンポー大学もきっとニンポー大学でしか通じない言葉が思い当たるはずであろう。 「程度強調語」若者は、強い驚きや感動をよりストレートに表現するために使われる。自分の感覚や感情の大きな変化を伝えるときに、相手にも共感してほしく、それを過激な言葉で表現することが多い。程度の極大を表すとき、おのずと身振りや表情が伴うこともある。「程度強調語」は常に、より新しい言葉が求められるということである。日常生活に「かなり」「超」「鬼」「めっちゃ」「バリ」「すごい」「巨」などがよく現れる。次に、いくつの例を挙げて、「程度強調語」を説明する。東京あたりでは、「かなり」は「非常に」という意味がある。「かなりやばい」と言えば、成績などが極めて危ない状況にあることを表す。関西弁では「かんなり」のように、「ん」が入ると程度が最大になるように思う。東京では「超」をよく使うが、大阪ではそれほど使わない。20世紀末、高校の女の子は「ばり」をよく使っていた。「ばりむかつく」といったこそ、その気持ちがそのまま出せるのであると思う。 「てるてる言葉」は形の上では動詞であるが、動作を表すのではなく、むしろ様子や状態を表し、形容詞的に使われる。例としては、「もってる」「おわってる」などが挙げられる。「なになにしている」という本来の形から「い」を抜いて「なになにしている」なのである。「食べられる」や「起きれる」と言う。こういう言葉に、形容詞や形容動詞があるが、日本語本来の言葉、つまり和語には、形容詞や形容動詞が少ないのである。「うつくしい」とか「きれいだ」だけでは細かい区別がしにくい。こんなふうに、てるてる言葉を使って、様子や状態を表す言葉を豊かにしてきたのであり、動詞を「している」の形にして様子や状態を表す方法が盛んになってきた。 また、文法の面から見ると、分の終わりの部分、文末表現形式とか文末形式とか言う。文末形式は一般に、話し手が聞き手に話の内容をどのような態度で伝えようとしているのかということを表している。断定の表現は「なになにする/します」とか「なになにした/しました」とか「なになにするんだ/するんです」とか「なになにしたんだ/したんです」のようになる。自信もないし、確信もないときには、なかなか使えないが、「なになにって感じ」とか「なになにみたいな」とか、いろいろな形で使われる。 一方、私たちはおしゃべりをする時に、声を使い分けて話すものである。強調した声、沈んだ声、ひそひそ話の声、甘えた声、怒った声、いろいろある。声の表情で言葉による伝達が効果的になる。ただし、その効果は形の面と文法の面ほど著しくないであろう。
第四章 若者言葉の特徴
若者言葉は言葉の遊びの一種であるため、意味の軽量化、曖昧化、省略化や変形などの特徴が見られる。とりわけ、外来語の使い量がずいぶん多くなってきている。この傾向は21世紀に入ってからも続いている。ただし、21世紀に入ってから若者言葉の特徴も新たな特徴を見せるようになった。 4.1省略すること 例えば、「コピー」して「ペースト」することで、「ペースト」は、貼りつけるの意味である。パソコンで人の文章などを写して、それを貼り付けることを「こぴぺ」という。 もう一つの例を見よう。「今日の昼、何食う?」「おれ、CR」。ここの「CR」は「カップラーメン」のことである。 省略化ということは言葉の主な表現として、若者言葉を進む一方、おおきな争論も招いた。確かに、省略語を使う時、若者以外の人はぜんぜんわからないかもしれないが、全社会のコミュニケーションにはプラスの面があるでしょう。それに、若者言葉は言葉の乱れの元凶という非難もうけている。ただし、中国語、英語の若者言葉の中でも、言葉の省略することは普通であるし、其れは世界の流行である。したがって、客観的にいうと、省略化は若者言葉の鏡といってもいい、若者の生活を映していると思う。 4.2強調すること しばらく前には、「チョウ」がはやったが、今現在は「チョウ」はやや廃れ始めている。現在の強調語で若者が最もよく使うのは、「めっちゃ」なのである。「めっちゃうめー」というわけである。「マジ」もよく使われる強調語である。次のいくつの例を見てみよう。 超:「超特急」などと同じ意味の「超」であり、「かなり」「本当に」などの強意を表すのに使用される接頭語である。通常は漢字で表記する。「チョー何々」と文字にあえて記す場合は、「若者言葉で「超(チョー)」が流行している」というなどという事を採りあげる、あるいは話題に挙げる場合に強調する意味で皮肉的な意味を込めて使用する場合くらいのものである。一般的には「超気持ちいい」「超面白え」「超感動した」という具合に使用される。またこの用法では従来の「00を超える」というニュアンスはほとんどない。例えば、「超最悪」の様に悪い意味の強調にも使われる。 4.3擬音語を使うこと 擬音語「チーン」を例としては、「テスト勉強した?」「あ、忘れた。チーン」 周知のように、「チーン」はもともと、お葬式の時にたたく鉦の音である。しかし、ここの「チーン」は、終わったな、失敗したな、という気持ちを表すのに使っているのである。擬音語は、本来、物音を表すために使うが、若者たちは自分たちの気持ちを表すために転用するようになる。 4.4方言を使うこと 「なんでやねん」とか「だべ?」など、関西弁や東京近県の言葉が若者言葉のにとても人気がある。 語呂合わせ言葉もよく使う。 次の例を見よう。「あした、行く?」「あたりめーめー、やぎめーめー」で、語感が楽しくて遊び心を満足させてくれる。語呂合わせ言葉は、ものすごく古いのをずっと若者たちの間で継承して使っていることがある。次は方言由来の若者言葉の例である。
注:方言由来の若者言葉の例の典拠 「1」 井上 史雄·鑓水 兼貴「編」(2002),『辞典(新しい日本語)』、東洋書林。 「2」 徳川 宗賢「監修」(1989)、『日本方言大辞典』、小学館。 「3」 井上 史雄(1998)、『日本語ウォッチング』、岩波新書。 「4」 馬瀬 良雄(2003)、『信州のことばー21世紀への文化遺産』、信濃毎日新聞社。 「5」 NHK 教育テレビ「ふるさと日本のことば·北海道」(2000年5月21日放送) 4.5アクセントの変形 アクセントの変形は主に、名詞アクセントの平板化と語尾上げという二種類のことがある。次は名詞アクセントの平板化を例として説明する。 関東の若者に多い発音の仕方が、名詞の平板化である。1990年代ごろから広められ、倦怠感を表したり、下記の「クラブ」のように発音によって区別する意図を含む場合に用いられる。広く知られているのが、ロックグルーブ·B’z(ビーズ)の発音で、アクセサリーの『ビーズ』と同じ発音でよいのか、平板な発音とすべきなのか、アナウンサーの間でも議論されたことがあったらしい。例えば: 彼氏 - かれし - かれし クラブ - クラブ - クラブ
おわりに
上述のように、仲間集団の行動を通して卑小な自我からの脱出感と他者との一体感を感得し、若者文化への所属性をもっとも顕著に表すのが若者言葉である。しかし、一口に若者言葉といっても、簡単ではないものである。若者が使っている言葉は単純には言えないのである。 また、日本の若者言葉は日本の若者によって作られたものが、日本の若者はまず、日本人なのである。若者言葉も日本人の精神を表している。相手に自分の考えをはっきり伝えたり、思いをぶつけるということを避けた表現が見られる。これは若者だけに関らず、日本人全体に言えることである。若者ことばをみてもこの基本的性格の部分がとてもよく表れている。同じように若者も人間関係を円滑に進める術の一つとして場の空気を重視し、このような曖昧さ、婉曲さを持つことばを多く作り出し使用している。さらに、他人を批判、卑下するような言葉が多く見られることから、集団から逸脱することを非常に恐れている心理が窺える。「出る杭は打たれる」などということわざもあるように日本では周囲から逸脱しているも者に対して敬遠されやすいのだ。この精神は若者の間にもあり、「イタイ」や「ひく」という集団から外れている人に対するネガテイッブな表現が生まれ、どこか人と違うことを恐れ、「イタイ」人とは距離を置くことによって自分自身を守ろうとしていることが読み取れる。 それで、最先端の若者であっても、実はそれは、自分を謙遜するという、典型的な日本人気質がはっきり見えることがところどころあると思う。 若者言葉も社会現象の一種である。日本語科の学生としての私たちは日本の若者言葉を研究し、標準的な日本語と一緒に身につく必要があると思う。毎日発展している日本をよく分かるとうに、日本の若者言葉を勉強するのは役に立つことである。若者言葉を自由に使えば、若い日本人との付き合いが楽しになり、よりとく若者の心理と意識を一段と理解することができると思われる。中日の未来はたちの若者次第であろう。
謝 辞
この論文は紙幅や日本語の語学力不足で、日本語の表現及び考え方などには検討不十分なところ、不適当なところがまだ沢山あると思うが、先生方からの忌憚のないご教示を、切にお願いする。 また、本論文作成中、指導教官の斉珂先生からは、お忙しいにもかかわらず、課題の定めから論文の構成まで、いろいろとご指導、ご助言をお賜りいただき、間違ったところや、日本語表現における誤用をご丁寧に添削してくださった。ここで、心を込めて感謝の意を申し上げる次第である。
参考文献
[1]小矢野哲夫.若者言葉とコミュニケーション効果「M」.阪成女子大学短期大学国文文学科講演, 1999. [2]賀野井.若者たちの言葉があぶない「M」.秀一学術講演会,1999. [3]小矢野哲夫.若モンの言葉と「現代語」「M」.国語展望,1990. [4]高校国語教育.若者の程度表現「M」.東京:三省堂. [5]佐竹秀雄.過保護時代反映「ソフト化」「J」.武庫川,2008. [6]百科事典《Wikipedia》「M」.2007. [7]米川明彦.若者語を科学する「M」.東京:明治書院,1998. [8]井上博文.若者言葉の性向語彙「M」.大阪:教育大学,1999. [9]小矢野哲夫.若者言葉を楽しみましょう「M」.日本信販株式会社:『NICOS magazine』,2004. |