和服与中国古代服饰的联系/着物と中国古代の服との関係
要 旨
和服は日本在来の衣服のことで、近年では日本における民族服ともされ、着物、呉服ともいう。『続日本紀』、『日本紀略』などの文献と、正倉院などに現在残っている資料が、奈良時代の衣服について探讨するための主要な資料である。和服は奈良時代の中国の唐の漢服の影響を受けているとされ、意匠的に漢服に似ている部分が多い。中国の礼制は、日本の有職故実の一つの要素となっており、この頃の中国大陸では襟の合わせ方は右前(右衽)だったという説が多い。『続日本紀』によると、719年に行った政策の記述の中に「初令天下百姓右襟」という文がある。
また趙菲の『日本古代服と中国の関係』によれば、日本の天皇は使節を派遣し、当時南方に引っ越した中国の南朝へ赴き、中国政府に援助の要請を求め、技術の工匠を依頼した。特に呉から日本へ渡った中国人は多く、日本の織物工芸と裁縫に最大の影響を与えた。日本では宮廷の皇后さえ自ら蚕に携わるほど国を挙げて養蚕に取り組み、織物への高まりが巻き起こされた。そして同時に、中国人の「身なりの国」の主張も深く日本の統治者の心に影響を及ぼし、唐の使者である吉備真備の唐服という新しいスタイルを見本に、中国の耕作、礼儀と服のスタイルを真似るべきであると義務付けたとされる。
さらに姜麗は『和服から中国の要素を見る』という文章で、和服は、表地の傾向や織り方、刺繍の手工芸とデザインなどにおいて、中国の伝統艺术を受け継いでいると指摘する。中国の古代艺术で龍、キリン、亀、鳳凰は知恵の動物と考えられ、人々はそれらを瑞祥の象徴とし、梅は春と祝事を知らせるシンボル、竹は無事でめでたいシンボル、松は長寿の代表で、蘭は君子だとみなされる。日本の和服の刺繍の中で、植物の代表は竹、松、梅、動物は鶴、亀、鳳凰が代表しており、これらの図案は皆中国の古代の艺术を吸収したものであるとされる。
キーワード:着物; 中国要素; 古代服
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