資生堂という名前は、中国の『易経』の「至哉坤元 万物資生」に由来する。1872年、資生堂の創立者である福原有信は東京の銀座で、日本初の洋風薬剤局を設立した。1902年、福原有信は欧米の実地調査の際に、アメリカで見たトラッグストアからヒントを得、資生堂の薬剤局内で「ソ-ダ・ファウンテン」を開いた。日本初のソ-ダ水や当時はまだ珍しかったアイスクリ-ムを製造し、販売し、評判になった。1915 年、事業の主体を薬品から化粧品へ移した。1923年、資生堂はチェインストア制度を導入し、全国の専門店と契約を結ぶことで、化粧品を販売し始めた。 20世紀80年代から、消費者のニーズの多様化につれ、百貨店やチェインストアを中心とした資生堂のチャネルはドラッグストアの台頭などのため、分かれた。90年代になると、資生堂は量販店、ドラッグストアなどの新しいチャネルを広げ、新しいブランドを作成した。2017年―2017年、社内公聴会で、「We are SHISEIDO」というスローガンに基づき、社名の「資生堂」を含むすべての事業において、「Shiseido」という欧文のログを使用することを限定した。2017年、ブランドのイメージを強化し、コストを削減するために、それまで100以上あったブランドを35程度に絞り、テゴリーによりブランドを分け、整理·統合した。 また、1997年、日本の化粧品再販制度が撤廃され、資生堂はこれに対応するために、発展戦略を調整し、従来の国内偏重のビジネスモデルを再生し、グローバル事業者になっている。2017年から、前3ヵ年計画と新3ヵ年計画を実施することで、お客様指向の会社に生まれ変わり、高い経営品質を確立した。 現在、資生堂はアジアを代表するグローバルプレイヤーを目指し、リソースを活用し、ブランド作りを強化し、経営品質を向上させ、グループの結束力を高めている。資生堂は国内市場でのNo.1ポジションを確保すると同時に、成長性の回復と収益性の向上に取り組み、海外事業を積極的に展開している。今、世界中において、日本以外で中国、ヨーロッパ、東南アジア、アメリカの4つの探讨開発拠点を設立し、現地市場に向けて高品質の製品とサービスを提供できるように取り組んでいる。 1.3資生堂の企業艺术前に説明したが、資生堂の名前が中国の『易経』に由来し、資生堂は伝統的な東洋の美意識を継承し、西洋の理念と融合し、「一瞬も一生も美しく」という企業理念を確立した。お客様の「美しく生きたい」という願いに応えるために、高品質の商品と行き届いたサービスを提供できるように努力している。 企業は経営活動以外に、「艺术」、「社会貢献」などに取り組むべきだと思われる。この企業理念をもとに、資生堂は創業以来、企業艺术の構築を非常に重視している。様々な企業艺术活動を通して、世の中で美の理念を宣伝し、ファッションのトレンドを導く。また、企業の様々な商品·宣伝製作物を「企業艺术資産」として捉え、今までの企業艺术資産を一括収集し、1919年に「資生堂企業資料館」を開設した。資料館で、日本に現存する最も古い画廊である「資生堂ギャラリー」をオープンし、収集された絵画・彫刻・工芸品などを展示し、現在に至るまで3,100回以上の展覧会を開催してきた。そして、『花椿』という企業艺术誌を創刊し、美しい生活艺术を提唱し、資生堂ならばの情報を読者に届け、お客様を資生堂につなぐ架け橋を築いた。また、「美を伝えることばの力を高めたい」という思いから、現代詩花椿賞という賞を設けた。資生堂は現代詩関連の方々への支援活動を行うことで、言葉の強い力を再発見し、表現力に豊かな社会づくりに貢献しようと思う。 今後、資生堂は自身の企業艺术構築を強化する一方で、魅力ある商品とサービスを提供することで、企業の社会責任も果たしていく。 1.~uchiyama/semi/intersemi/08/data/2.ppt 2. 川島蓉子. 資生堂ブランド.文春文庫.2017年7月.P194-P202 ,日语论文题目,日语论文 |