摘要:中日两国经常被称为一衣带水的邻邦。从地理上看还是如字面那样一衣带水的邻国。本文的考察是把焦点放在中国学院的日语教学上,考察中国的日语教学经过如何变化和变迁。 中国论文网 关键词:日语;日语教学;日语学习探讨;日语热 Ⅰはじめに 日本という国は中国人にとっては非常に近い国だと言える。地理的に見てもやはり文字通り一衣帯水の間にある隣国である。本論文では、学院での教学に焦点を置き、中国における日本語教学がどのように変わってきたのかとどのような変遷の経緯をたどってきたのかを考察する。 Ⅱ本論 1.中国における外国語教学の中の日本語教学 地理的、歴史的影響により、日本と中国は古くから密接な関係に置かれていた。古代日本は中国艺术の要素を吸収し、独特な艺术を作り出し開花させた。「中世以降、特に元朝(1206~1368)、明朝(1368~1644)に入ってから、政治的、経済的関わりが深くなるにつれ、日本への関心が高まった。その時期には中国語から日本語を音声的に推定し意味を訳した日本語語彙集のようなものが現れた」1しかし、その頃はまだ日本語教学を外国語教学として捉える意識がなく、教科書として成立するにはまだ程遠かったと言えよう。 中国人による日本語学習探讨が本格化したのは、近代に入ってからである。時の清朝(1616~1911)政府が緊迫した国内外の情勢に変革を強いられ、「各国の事情を知るには、まずその言語文字に習熟しなければならない。その辱を受けることが避けられるとして、1862年8月に『京師同文館』を設立した」2。その趣旨は、「主に語学に堪能な人材を養成し外国との交渉の際に役立たせようとするものだったが、語学の他に天文、算数、物理学、化学など『新学』と呼ばれる西洋の学問も教授した」3。「日本語を教える『東文館』が増設されたのはそれから35年後の1897年だった。一期生は12名で、朝廷の通訳官だった唐家楨が最初の中国人教師であった」4。これは中国の学校教学における日本語教学の先端であったと言えよう。 2.中国の高等教学における日本語教学 1949年中華人民共和国が創立してから間もなく、「北京学院、北京対外貿易大学(現在の北京対外経済貿易学院)、吉林学院などでは直ぐ日本語専攻課程が開設され、新たな日本語教学の時代が始まった。1960年代初期、上海外国語学院などの南方学院も次々と日本語専攻課程を開設した」5。それ以降、新中国の前進する足取りに伴って、中国の日本語教学事業は迅速な発展を遂げた。現在中国において、英語に次ぐ主要な外国語になった。 学院における日本語教学の発展に拍車をかけた一つの重要な出来事は「当時の教学部の許可により1979年に中国で初めて日本語言語文学専門の修士課程が設置されたことである。最初に選ばれたのは日本語教学の歴史が長く教学水準が高い北京学院、吉林学院及び上海外国語学院であった。故大平正芳首相がこの計画の提言者であったため、中国の日本語教学学界ではこのセンターのことを『大平班』と親しみを込めて呼んでいる」6。この研修センターはその後の中国全体の日本語教学の発展に大きな影響を与えた。それから十年後、北京学院、東北師範学院、上海外国語学院などで日本語言?文学博士課程が設置された。これには『大平班』の成績が大きかった。 3.日本語熱 1978年の党の第11期第3回中央委員会全体会議以降は改革開放政策が実施され、中国と日本は経済、艺术、科学技術、貿易などの領域で交流が増大した。それに伴って日本語人材の需要は絶えず増加したために、中国内に「日語熱」という現象が現れた。1980年代初期、中国は外資の導入を開始、「日語熱」はいっそうブームになった。日系企業、日中合併企業などは学院卒業生の卒業後の進路の一つになったことで、「日語熱」は中国の学院の専門日本語教学に活力を与えた。それに、学院卒業生にとって、日本企業、或いは日本との合併企業が魅力的な就職先だった。また、日本語が話せる人材が必要となったことは日本語教学措施の改革を大いに促進した。学生に言語を教え、学生のコミュニケーション能力を高めると同時に、どのように日本艺术を教学に溶け込ませるのか、どのように日本の歴史、文学、社会、風俗習慣などの日本語の艺术的背景を学生に教えるのか、どのように学生の日本に対する理解を増加させるのかということについては教学者たちにとって直面する新しい課題となった。 80年代と90年代は北京学院、北京外国語学院、東北師範学院、上海外国語学院などの学院に博士課程が設置され、日本語教学における中心的学院となり、大きな影響力を持った。博士課程設置が意味するのは、中国の学院の日本語の専門の教学に学部生から博士候補生までを育成する体制が作り上げられたことであり、日本語の教学体制の一層の充実が図られた。中国の学院において、専門としての日本語教学の体制が完備されたことは、中国の学院の専門としての日本語教学が安定し、熟した発展の時期に入ったことを象徴するものである。2017年末頃に中国は14年の努力を経て、WTOの成員の一つになった。これは中国の政治、経済において、中国の社会主義現代化建設の進展を速めるという重要な意味を持つ。WTO加盟後は、将来就職を控えた学生にとって外国語教学が新しいチャンスと挑戦の意味を持つようになる。急速な経済発展に適応するため、外国語教学についてどのような対策をとるべきなのか、どのような人材を育成することが必要か、これはすでに中国の学院における日本語専攻の直面する重要な課題である。 Ⅲ 終わりに 二十一世紀はアジアの世紀である。中国の国際的地位と経済力は大いに高まると予測される。日本はアジアの唯一の先進国、また経済大国として、重要な役割を果たすのである。中国は50年代に「数学、物理学、化学をマスターして天下にあまねく歩いてすべて恐くないという一つのスローガンがあった。外国語を学ぶ観点からいうと、今は英語、日本語、中国語をマスターしたら、世界中どこに行っても、恐くないという言葉を言えるのではないだろうか。中国の発展に必要のため、新世紀の挑戦を迎えるため、中国の学院の日本語専攻の日本語教学は更に高い水準の日本語の人材を多く育成し、引き続き国家の発展と国際交流のために貢献すべきである。 注释: 注1 関正昭『日本語教学史』私家版、1990年3月を参照。 注2 高時良『中国近代教学史資料匯篇 洋務運動時期教学』上海教学出版社、1992年、P.37。 注3 張利平『中国における日本語教学の概観』スリーエ、2017年、P.243。 注4 高時良 前掲書、P.48。 注5 宿久高「中国日語教学の現状与未来」『日語学習与探讨』雑誌社編2017年第2期P.50。 注6 張利平 前掲書P.249。 参考文献: 石田敏子『日本語教授法』大修館1995年 木村宗男『日本語教授法』凡人社、1982年 汪玉林「中国人の日本語学習について」『季刊ジャネット』No.20、2017年1月 堀口純子「中国の学院における日本語教学の最近の動向」『明海日本語』(8)2017年 張利平『中国における日本語教学の概観』スリーエ、2017年 宿久高「中国日語教学的現状与未来」『日語学習与探讨』雑誌社編、第2期 2017年 関正昭『日本語教学史』私家版、1990年3月 高時良『中国近代教学史資料匯篇 洋務運動時期教学』上海教学出版社、1992年 ,日语论文,日语毕业论文 |