日本/教育の/点から/た/情/のなわ/り理/の意/[日语论文]

资料分类免费日语论文 责任编辑:花花老师更新时间:2017-04-14
提示:本资料为网络收集免费论文,存在不完整性。建议下载本站其它完整的收费论文。使用可通过查重系统的论文,才是您毕业的保障。

  作者简介:原林书(1969―),日语论文,男,陕西蒲城人,渭南师范大学外国语大学讲师,日语语言文学硕士,主要从事日语话语略论以及历史文化探讨。
中国论文网
  要旨:本稿は神尾の情/のなわ/り理/を/介した上、その理/は我々中国/を母国/とする日本/学/者にとって、具体的にどんな示唆が与えるかを略论してみた。我々日本/学/者は情/のなわ/り理/を/用して、/来の日本/文法教育とは/った/用/の/点から自分のしゃべっている日本/が自然であるかどうかを判断することが出来る。
  キ/ワ/ド:情/のなわ/り理/;日本/教育;意/
  神尾昭雄氏の情/のなわ/り理/は主としてある与えられた情/の持つなわ/り//とそれを表/する文形との//を/う。
  1.情/のなわ/りの概念
  情/のなわ/りに属する情/とは、/してまたは/き手が自己に/属するものとみなす情/、すなわち自分のものとみなす情/である。「情/のなわ/り」理/では、具体的な「もの」だけでなく、「情/」のような抽象的/象もまた人称的な世界区分のもとに把握され、そのことが文末などにおける//的、形/的な特/として反映され得る,という//を/る。
  その定/は次の如く。
  (1)/し手または/き手と文の表す情/との/に一次元の心理的距/が成り立つものとする。この距/は〈近〉および〈/〉の二つの目盛りによって/定される。
  (2)〈Xの情/のなわ/り〉とは(2)によりXに〈近〉とされる情/の集合である。ここで、Xは/し手または/き手とする。
  (「情/のなわ/り理/」p.21)
  では、一般的に言って、どのような情/が/し手または/き手にとって情/となるのであろうか。神尾は次のようなリストを/げ,「一般に、情/の性/が以下の条件のいずれかを/たしていれば、与えられた情/は/し手または/き手にとって、情/となる」としている。
  2.日本/教育の/点から/た情/のなわ/り理/の意/
  では、神尾の情/のなわ/り理/は我々中国/を母国/とする日本/学/者にとって、具体的にどんな示唆が与えるかを考えてみよう。この理/に/しては、日本/教育の/点から、少なくとも次のような意/を持っていると考えられる。
  1)、自然的な日本/の表/を追及するのに、情/のなわ/り理/は大いに参考になる。
  日本/学/者が日本/でしゃべる/、不自然な/し方がよく耳にする。特に文末表/の「よ」「ね」の/用が/げられる。神尾が述べた通り、情/のなわ/り理/における/察/象を文または文中の/句がどのような状/下で自然に用いられるかに限定したのは、/用/の性格に/うものである。 その故、我々日本/学/者は情/のなわ/り理/を/用して、/来の日本/文法教育とは/った/用/の/点から自分のしゃべっている日本/が自然であるかどうかを判断することが出来る。具体的に、/し手としては、自分が相手に/えようとしている情/は/のなわ/りに入るかによって、/当な文末表/を/らんで、相手に/えるという/程を通してから、より自然な日本/の//となることが出来ろう。
  2)、好まれる日本/をしゃべるには、できるだけ情/の独占を避けよ。
  以上の/明により、日本/では、直接形自体が情/の独占化を示すという役割を担っていると考えられる。情/の/し手による独占化は一般日本文化の下では好ましい印象を与えない。中国/とは/照的に、日本/では直接形を避ける/向が/いのはこのためと考えられる。また、日本/では直接形を用い得る状/でも、直接形そのものを避けるような表/が多用される。例えば、
  (1)a.今日はこれで/りますから。
  b.そんなことがないが。
  これらは副//もしくは等位/を形成する文末形が、あまり明/な意味を表していない、/にはそれ自体で文を完/するかのように/音される。この/の疑似直接形は(2)のような明/な直接形に比べて、
  (2)a.今日はこれで/ります。
  b.そんなことがない。
  情/の独占化の/きが明らかに弱く、したがって、あからさまな主/という印象を与えない。(1)の疑似直接形が多用されるのはこのためであろう。Aの/合に任意的な「ね」を付加されることが多い。例えば、
  (3)X:うちの子、学院は/理でしょうか。
  Y:a./理です。
  b./理ですねえ。
  (4)の/合、母/は「息子が学院に合格するのは/理である」という情/を持っておらず、教/はこの情/をなわ/り内に持っているので、直接形で答えることが出来る。しかし、直接形そのものである(3Ya)は、情/の独占化をあからさまに示すにべもない返答である。これに/して、(3Yb)で用いられる「ね」は独占化の印象を打ち消すと共に/し手と/き手の心理的一体感を感じしめる/きがある。明らかに(3Yb)の答えの方が日常好まれるのはこの理由による。
  日本/において、日常直接形が最も/されやすいのは比/的公式的な/答の答としてである。典型的な例は入社//や入学//における口///である。この/合、答えが正しいか否かには/わりなく、直接形であれば自然であり、/接形や、直接ね形は不自然である。
  以上の考察に基づいて、日本/の直接形の用法について、/用/的な丁/さの原/を求めることが出来る。つまり、状/の/す限り、直接形は避けよ。
  中国/は日本/と比べると、直接的な表/は多く、中国/を母国/とする日本/学/者にとって、母国/の//から、日本/の//に/うのは、ある程度/の切り替えが必要であろう。この点に/しては、神尾の情/のなわ/り理/は大いに参考になるだろう。   3)、情/のなわ/り理/は日本/を教授するにも参考になれろう。
  例えば、//の//「ようだ」「そうだ」「らしい」など、神尾のいわゆる/接形を教授する/、情/のなわ/り理/を/用して/明するのは/果的であろう。
  日本/では、それが//であることを////から/み取れるにもかかわらず、「そうだ」「らしい」「って」などの////の言/化が//的になっている。一方、中国では、//の意味を//の流れから解/できる/合、わざわざ//の意味を表す////を言/化しなくてもよいのである。そのため、//内容が他人の心的状/に/わる情/である/合、中国/ではあたかも他人の心的状/を直接言及しているように/えてしまうのである。例えば、
  (5)X:小王呢?
  (王さんは?)
  Y:他不想见你。
  (a.??君に会いたくない)
  (b.君に会いたくないそうだ。)
  (6)/られるように、(4Ya)の表/は明らかに中国/原文の直接形が日本/に/され、あたかも「王さんがXに会いたがらない」ではなく、/し手自身のことを述べているように/こえ、/解を引き起こしやすい。この/合、中国/原文の直接形が日本/に/すとき、「そうだ」というモダリテイ形式が付けられていて、/当であると思う。このような母国/の影/を/くすため、情/のなわ/り理/を/用して、教授法に使えば、学生のほうがはるかに理解しやすいし、/果的であろう。
  //
  神尾の情/のなわ/り理/は、日本/の文末形式との//が大きくクロ/ズアップされている。/し手はある情/を/えようとするときに、自分がその情/に/して、どのぐらい知っているかを判断するのはもちろんのこと、/き手の状/についての想定も必要である。すなわち、/き手/が/当情/について、どのぐらい知っているかを想定した上で、/当な文形を/んで、そこで情/を/える。この点に/して、情/のなわ/り理/は日本/教育の/点から大/意/があることである。
  基金项目:渭南师范大学科研项目(09YKZ041)
  参考文献:
  [1] [日] 泉子・K・メイナ/ド.会/略论 [M].东京: くろしお出版,1992.
  [2] [日] 神尾昭雄.情/のなわ/り理/――言/の/能的略论[M].东京:大修//店,日语毕业论文,1990.
  [3] [日]神尾昭雄./・情/のなわ/り理/[M].东京:大修//店,2017.
  [5] [日]益/隆志.モダリティの文法[M].东京:くろしお出版,1991.

免费论文题目: