この表を通じて、「聊斋志异」の「酒虫」にはストーリー展开以外の描写表现は一切ないが、芥川の 「酒虫」 はストーリー展开をはじめ、语りの形式にふさわしい対话文、人物の増设、人物の外貌、心理、风景の描写などがみられる.「聊斋志异」の「酒虫」の主人公の「刘」に正式の名前を赐るだけではないが、芥川龙之介の「酒虫」の主人公の名前は刘大成という、また元からある人物の僧侣の基础の上で表面はまるで儒学者の第3者の孙先生という糟邱の良友を増加しました.その上自分の思想を巧みなのは入って品种を行うことにもみます.そこでともとの著作は比较して、芥川竜之介の「酒虫」は人物の造型と心理の描写の上ですべてとても大きくもとの著作を上回りました. 2、 虫が出るのほう 最大の违いは、虫が出てきてからだ.「聊斋志异」では酒虫が体内から出た刘の、お礼をしたいという申し出に対し、お坊さんは「金はいらない、その代わりその虫をくれ」と言う.瓮に水を満たしてその虫を入れてかき回すと、すばらしい酒ができるというのである.确かに実験してみると、すばらしい酒ができた.その虫は酒の精だったのである. ところが芥川版では虫の正体など兴味を持たない.そのかわり、どうして刘が何もかも失うに至ったかが考察される. 3、三つの答え 「聊斋志异」の「酒虫」の末尾で、ただ一つの答えがある.即ち、「虫是刘之福、非刘之病、僧愚之以成其术.然欺、否欺?」という.ところで、芥川竜之介の「酒虫」の末尾で、酒虫を吐き出して以来、刘の健康が衰弱し家産が零落したことをめぐり、人々がロにした意见のなかで最も代表的な三つの答えが、语り手によって挙げられ答えている. 「第一の答.酒虫は、刘の福であつて、刘の病ではない.偶、暗愚の蛮僧に遇つた为に、好んで、この天与の福を失ふやうな事になつたのである. 第二の答.酒虫は、刘の病であつて、刘の福ではない.何故と云へば、一饮一瓮を尽すなどと云ふ事は、到底、常人の考へられない所だからである.そこで、もし酒虫を除かなかつたなら、刘は必久しからずして、死んだのに相违ない.して见ると、贫病、迭に至るのも、宁刘にとつては、幸福と云ふべきである. 第三の答.酒虫は、刘の病でもなければ、刘の福でもない.刘は、昔から酒ばかり饮んでゐた.刘の一生から酒を除けば、後には、何も残らない.して见ると、刘は即酒虫、酒虫は即刘である.だから、刘が酒虫を去つたのは自ら己を杀したのも同前である.つまり、酒が饮めなくなつた日から、刘は刘にして、刘ではない.刘自身が既になくなつてゐたとしたら、昔日の刘の健康なり家産なりが、失はれたのも、至极、当然な话であらう.」 芥川は最後に「これらの答の中で、どれが、最よく、当を得てゐるか、それは自分にもわからない」と白々しいことを言っているが、どれがそのほんとうの理由であると考えているかはあきらかである.すなわち、三番目だ.つまり、生来持っている资质を舍てると结局は「何も残らない」ことになる、と、この物语に托して言っているわけだ.换言すれば、「酒虫」は刘氏のが刘氏の独特な个性なので、人の个性を扼杀して人の生命を扼杀するようである.「独自性を失わないようにという暗喩」、「自己を丧失した人间の悲剧」などに芥川の警告が秘められているとの指摘である.典拠にない第三の答えには、一九一五年前後の日本に波及してきた大正デモクラシーの自由主义思潮の作用下で唱えられた个人尊重思想の作用がみられる.もし芥川がこのような思想を背景に据えたとしたなら、第三の答えこそが、彼自身の主张であると推测できる. おわりに |