(17)ここなら花火が見える。 (从这能看见)(18)後ろに座った人が聞こえますか。 (坐在后面的人能听见么? )(19)耳が遠くて聞こえない。 (耳朵背了听不见声音。 )(20)生れたばかりの猫の子は目が見えない。(刚生下来的小猫眼睛看不见东西。 ) 1.大多数时候可以替换,但是根据语境意义稍有差别。(24)私は日本語が話せる。 (我会说日语。 )○私は日本語を話すことができる。 (我会说日语)○(25) あの患者は手術後三日目にもう歩けるようになった。 ○(那个病人在术后三天就能下地走路了。 )あの患者は手術後三日目にもう歩くことができる。 ○(那个病人在术后三天就能下地走路了。 )这种时候虽可替换,但含义稍有区别。前一句表示患者手术后经自己的能力即内在能力才能行走;后者的说法表示术后患者的行走时依赖外在条件的,如医生的许可。 2.有时则不可替换:「れる」「られる」表示内在性质的可能性,「ことができる」表示外在条件制约下的可能性。如: (26)この酒はどうしても飲めません。 ○(这酒怎么也喝不进去。 )この酒はどうしても飲むことができません。 ×这里酒不能喝,是因为酒本身可能因为滋味不好等内在因素不能喝,和外部条件无关。 (27) ここにある本はだれでも借りて読むことができる。 ○(这儿的书谁都能借去读。 )ここにある本はだれでも借りて読める。 ×这里的书谁都可以借,是外在允许的,和书本身内在的能力无关。 (28) ロッカーの中に動物の死骸を入れることができない。 (入れられない×) (柜子里不能放动物的骸骨。 )(这里也是动物死骸无内在能力。 )(29)これは三日前のものだから、もう食べられません。 (食べることができる×)(这是三天前的东西了,已经不能吃了。 )东西可不可以吃与外在条件无关,是东西本身的问题。 (30)この子はまだ物が言えない。 (ことができる×)(孩子尚幼,不能开口说话。)(是内在能力不够。)(31)芝生に入ることができません。 (入られません×)外在制约。(不能践踏草坪。 ) 可见,当有关人或事物的内在能力或性质时是不可以用「ことができる」来替换的;而当表示外在条件制约允许或者禁止时,则不能用「れる」「られる」来表达。我们只有弄清楚这三者真正的表达含义,才能够正确使用这三种可能动词。 参考文献 |