日语1项名词形成的衔接[日语论文]

资料分类免费日语论文 责任编辑:花花老师更新时间:2017-04-12
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  篇章的衔接手段是一个复杂的问题,它涉及语音、词、短语、句子、篇章等多个层次的连接问题,到当前为止探讨篇章衔接的手段主要延续韩礼德和哈桑的措施,将衔接分为“指称”“替代”“省略”“连接”。从词汇角度探讨的衔接还不够充分。

  1 1项名词

  1 项名词是庵功雄在 2017 年所着的《日本语におけるテキストの结束性の探讨》一书中提出的。庵功雄在这本书中是这样阐述 1 项名词“:名词にはその内部に「~~の」という分分を「项」として持つ「1项名词」とそうしたものを持たない「0 项名词」があると考えるのである。”也就是说日语中包含“~~の”的名词叫做“1 项名词”。不包含“~~の”的名词是“0项名词”。那么到底什么样的“1 项名词”?它又是怎么构成的衔接呢?我们看看下面庵功雄所举的例子:

  92 岁で亡くなった 崎嘉太平さんはこう言っていた。「私はどちらかといえば生一本で起こりっぽく、子供の时はけんか太郎でした」(18文略)ことし5月に百回目の访中。「100回ぐらい行ったからって、とてもわかりゃしません。大地の が深いんですから」。その中国との最初の出会いは 山中学で留学生に会ったことだった。さらに高等学校でも留学生と付き合い、外から见る日本の姿、というものに心を深める。

  着书『21 世纪へのメッセ一ジ』の终章で、「アジア诸国の进 と繁 」への寄与を说いていた。

  上面横线部分的“着书”,当我们看到“着书”这个名词我们会有这样的疑问“:是”谁“の”着书“”,也就是说名词“着书”包括“~~の”的部分。我们就将“~~の”的部分称作“项”。包括“~~の”也可以说包括“项”的名词就被称作“1项名词”,没有就是“0项名词”。

  2 1项名词形成的衔接

  “1项名词”是怎么构成的衔接?上面例子中的名词“着书”语义不够完整,自然会找到“ 崎嘉太平さんの着书”,我们在寻找的“谁の”过程中,就使原本不同两个句子构成了某种联系,也可以说构成了衔接。我们具体看看下面的例子:

  例7 一群れの客を舟に载せて缆を解いている船头がある。船头は山 大夫で、客はゆうべ大夫の家に泊った主 四人の旅人である。 化桥の下で山 大夫に出逢った母亲と子供二人とは、女中姥竹が欠け损じた瓶子に汤をもらって るのを待ち受けて、大夫に连れられて宿を借りに往った。森 外「山椒大夫」划线的词“船头”的是意思是“一群れの客を舟に载せて缆を解いている”船头。也就是名词“”包括“~~の”的部分,日语论文,是“1 项名词”。通过“船头”这个 1 项名词,使前后两个句子连接在一起。所以名词“船头”就具有了衔接功能。

  例 1 ある日、一日留守にして、夜おそく って见ると、もうそこには自分の家と家族はなくなっていて、全く见知らぬ家に、见知らぬ人が、何十年も前からいるような样子で住んでいる、というような现象は起こり得ないものだろうか、起こってもちっとも不思议はないような がする。そんな事を考えながら、门をくぐって内へはいると、もうわが家の存在の必然性に する疑いは消灭するのである。寺田寅彦「柿の种」划线部分的名词“门”的意思是“全く见知らぬ家の“”门”。与前面的句子想关联。所以名词“门”具有衔接功能。

  例2 人间鱼雷の多くは粗 で途中で爆 し、沈んだ。しかし、夜になると、数人の者が、またそこに集った。住民たちは、それらのことをすっかり知っていた。が、雨 をしめて、何も知らなかった。

  何故なら、その附近は 重に立入禁止であったし、すべては、知ってはならないことなのであったから。ここには人口二十万の大都市がつくられる であった。 本百合子「播州平野」划线部分的名词“雨 ”的意思是“住民たちの“”雨 ”。与前面的句子想关联。所以名词“雨 ”具有衔接功能。

  例3 仲の い二人の 妹は、ひとりぼつちになつて、ぽかんとして见てをりますと、向ふの丘の上に、大势の子供达が手をとり合つて しさうに んでをりました。 のお杉は、そこへ行つて仲间に入れて贳はうと、丘の下までゆきました。妹のお绀も、一绪に ばせて贳はうと、丘の下までゆきましたが、二人は足がすくんで、いくら一生悬命になつても、丘の上へあがれませんでした。 と生れて妹となつて仲が くて 椋鸟さんに暗い一本道 送られました。野口雨情「仲のわるい 妹」划线部分的名词“丘”的意思是“向こうの“”丘”。与前面的句子想关联。所以名词“丘”具有衔接功能。

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