「おおばはようございます」は挨拶言葉として、完全に独立したから、「朝、早い」の意はだんだん失われ、話しても聞き手もその早いかどうかに関心を向かなくなった。これは言葉の勢いとか語調が重視されている。それに対し、「こんにちは」「こんばんは」という挨拶が、日本の「相手と自分の立場を考えて言葉を変える」という艺术に適合せずに、変化させることが出来ないからである。 その点、「おはようございます」は、元々「おはよう」で、これが目上の人であれば「おはようございます」と丁寧語な言い方に変化し、同僚などには「おはよう」「おはようさん」「おはよっす」「おす」などと変化をつけることが出来る。それに対し、「こんにちは」と「こんばんは」が「こんにちはございます」と「こんばんはございます」という丁寧な言い方がない。しかし、日本人はウチソト意識が強くて、上下関係がはっきりしている国である。目上の人、上司、ソトの人に必ず丁寧な言い方が必要である。だから、「こんにちは」と「こんばんは」はこういうウチソト意識と上下関係を表す機能を持っていないので、「おはようございます」はその欠落を補い、時間に関係なく場合によって一日中に使えるようになっている。 もう一つの原因は、芸能界、飲食界、企業、産業界の場合ははパートさんやアルバイトさんをたくさん必要である。新しく入社した人もいれば,日语毕业论文,退社する人もいて、人の出入りが激しい。こういう場合、誰が何時から働くはいつも定またものではなくて、週あるいは月ごとに変わり続けている。だから、「おはようございます」は「こんにちは/こんばんは」の意味を表すほかに、「これから仕事に入ります」という情報を伝えられると思われる。 この簡単な一言「おはようございます」は、これから始まる一日に元気を注ぎ、人間関係をもっと調和するものである。こういった言葉は、それを発する人の優しさ、あるいは行き届いた気持ちといったようなものをしのばせる。 「おはようございます」を交わすことによって、これから楽しくて、元気のある一日を過ごそうと激励し合うという積極的な意味を持っている。そして、何時でも丁寧な挨拶を心がけるということから始まった習慣ということである。 そういうことで、ある種の業界では何時でも「おはようございます」という挨拶が一般的になったのである。 4. 薄れてきた挨拶の習慣 挨拶を交わす機会は多いが、今の生活環境を見ると、団地の中でなどほとんど挨拶が交わさない。日常生活の中で挨拶が交わされるのはまれになってきている。団地の生活は、昔のことわざ「遠くて近いのは男女の仲」をもじって、「近くて遠いのは団地の仲」と言うくらい挨拶を交し合うのは非常に少なくなってきている。 最近日本の職場では挨拶の習慣が薄れているという。 ァ≌ィスなどでは机の位置が関係しているようで、たとえば課長だの部長だのの役付職員は大体奥の椅子に座っているので、入り口から入ってきた若い職員が「おはようございます」と言っても偉い人の方まで声が届かない、といったようなことも多少関係があるかもしれない。若い社員が「おはようございます」と言っても上役は挨拶を返すようなことをしない。そのうちに若い社員のほうもなんとなく「おはようございます」というのが照れくさくなって、やがてァ≌ィスの中で挨拶が交わされなくなるというようなことしばしばあるようである。そのほか、挨拶など不要と考える人が増えたのか、不景気や人員削減で気持ちにゆとりが無くなったのか、理由は定かではないが寂しいことである。 挨拶言葉は私達の日常の言語生活で欠けてはいけない言葉である。人間が他人との間に親和的な社会関係を設定するために、または、すでに設定されている親和的な社会関係に基づいて、それを維持強化するために行う社交、儀礼的な行動様式の一つである。短いから、簡単な一言だからという理由で、略してもかまわないと思うと大間違いである。世の中が騒がしく、毎日の暮らしが忙しく、何かと追い立てられるような日常生活の中だが、挨拶言葉の重みを改めて見直すべきであると思われる。 |