提 要:在现代日语学习中,有必要进行追本溯源的研讨和探讨。日本国文学者小西甚一指出,语言学习应有历史视角,形成类似于x轴和y轴的图式,如此才可称之为完整的系统语言学习。对语言史知识的取得是了解和认识一门外语的全貌的最为基础性的工作。本文以较为典型的日语文语断定助动词“なり”为例,对其演变及其文语残留现象予以梳理,探求语言发展的某种趋势和规律。 日语文语体系确立于平安时代,进入镰仓、室町后出现“言文分化”趋势。到江户时代,一度流行汉文体。明治至19世纪末20世纪初,基本完成了口语和书面语一体化,在日语语言发展史上称为“言文一致体”,从而也为现代日语奠定了基础。文语断定助动词“なり”由格助词“に”和变动词“あり”的合体“にあり”的约音而来。与口语断定助动词“だ”相对。“なり”早见于上代歌谣,流行于平安时代的和歌、物语。进入镰仓、室町时代后,受中世文语体系变化的作用,如动词已然形的变化、终止形与连体形的一体化、部分文语助动词的消失等而逐步衰退。同时出现口语分化趋势,直至进入现代日语后,完全由后兴起的口语断定助动词“だ”所取代。本文从“なり”的活用形态着手对其各形态的演变及其文语残留现象作一略论。1 未然形“なら”的使用动词活用形的未然形源于上代后接“ば”构成假定前提条件,表示事物的未然状态,“未然形”的称呼也由此而来。“なら”主要用于后接各类助词或助动词。后接接续助词“ば”,用以“ならば”,构成顺态假定前提。例如:①おほならばかもかもせむを恐みと振りたき袖を忍びてあるかも。/现代文译文:普通の方であればどのようにもしましょうが、わたしは手を振るのを恐れ多いと思って堪えていますよ。(久松潜一1999:189)后接否定助动词“ず”,用以“ならず”,构成否定。例如:②この御酒は我が御酒ならず。/现代文译文:このお酒は私が醸したものではありません。(次田真幸2017:198)后接接续助词“で”,用以“ならで”的形式,相当于“…でもないのに”“…ではなくて”“…以外に”。例如:③秋ならでおく白露はねざめするわがた枕のしづくなりけり。/现代文译文:秋でもないのに置いた白露は寝覚めした私の手枕の の雫であった。(久曾神 1998:266)还用以“ならでは”的形式,相当于“…以外には”“…でなくては”。例如:④恩tの道ならではかかる者の心に慈悲ありなんや。/现代文译文:身内へのt以外にはこういう者の心に慈悲はうまれまい。(三木紀人1997:189)进入室町时代后,动词的已然形发生变化,不再表示事物的已发生状态,向假定形转化。 接续助词“ば”表示顺态假定前提也由接未然形转向接假定形,日语动词的假定形到江户后期趋于完善,基本取代了由未然形构成的顺态假定前提。“ならば”的使用范围逐步缩小,随着文语“なり”的消失,原有的语法意义也不复存在,而成为固定形式,遗留于现代日语中,成为文语残余现象,多见于书面语。例如:⑤雨天ならば中止する。(松村明)口语断定助动词“だ”的假定形是“なら”。“だ”兴起于室町时代,源于“にあり”的约音。其假定形“なら”的流行始于近世。例如:⑥そういふことなら江から3って直に来さうなもんだ。(小学館)⑦なら、いい、君に聞かんでも余処で聞くよ。(小学館)例⑦的用法在现代日语中还以“それならば”的形式出现。例如:⑧語形変化ということはその言語の使用者にとって記上の負担である。それならば、語形変化はなるべく規則的であることが望ましい。(金田一春彦1988:98)此外,中世文语体系变化还有一个明显的特点是助词发展活跃。后世的一些“なら”形式的副助词被认为是源于“なり”的未然形“なら”。2 连用形“なり”和“に”连用形“なり”主要用以接“き”、“けり”等文语助动词,表示时态。例如:①其人いまだ蔵人頭なりし 五節に舞はれければ、それも拍子をかへて、/现代文译文:その人が蔵人頭であった 五節の宴で舞われると、その も歌の拍子を変えて、(杉本圭三郎1999:39)连用形“に”源于“にあり”中的格助词“に”后接动词“あり”而来。由此而形成的分合功能,使连用形“に”在使用上显得更为灵活。表示中顿。例如:②源氏の末の君に中将ばかりなる人、/现代文译文:源氏の末流の御方で中将ぐらいの身分であった人、(井上宗雄2017:370)经常后接接续助词“て”或“して”,用以“にて”或“にして”的形式。例如:③父はなほ人にて、母なむ藤原なりける。/现代文译文:父は身分の低い男で、母の方が藤原氏の出なのであった。(石田穣二1994:167)后接变动词“あり”,在“に”和“あり”之间插入接续助词“て”、系助词“は”、“や”、“ぞ”等,形成强调、委婉等语气。例如:④十ばかりにやあらむと見えて、/现代文译文:十 ぐらいだろうかと見えて、(保坂弘司1970:123)还常见后接系助词“や”、“か”,以“にや”、“にか”的形式用于句末,被认为是后面省略了“あらむ”等语气词,表示疑问、委婉等意。例如:⑤我ばかりかく思ふにや。/现代文译文:わたしだけがこんなふうに思うのだろうか。(三木紀人1992:131)日语文语进入镰仓、室町时代后出现了“言文分化”现象。连用形“なり”随着文语助动词“き”、“けり”等的消失而衰退。另一方面,连用形“に”继续发展活跃,由“にて”约音为“で”,出现口语化趋势。这与平安时期末镰仓时期初流行的和汉混合文,以及说话文学的兴起有很大联系。当时的演化现象以《平家物语》为典型。3 终止形“なり”终止形“なり”除用于结句外,还和各类助词结合使用。例如后接接续助词“とも”,用以“なりとも”的形式,构成逆态假定前提。例如:①かの地獄の の風なりとも、かばかりにこそはとぞ覚ゆる。/现代文译文:あの地獄を吹く 風であっても、このぐらいであろうと思われる。(安良岡康作1999:40)进入中世后,动词活用形的终止形与连体形出现一体化,用言、助动词的连体形用于句末,在日语语言史上称为“连体形终止法”。“なり”的终止形为连体形所取代。由终止形“なり”而来的“なりとも”也逐渐脱离与“なり”的语法意义上的关联,独立为助词。在现代日语中多见“なりと”的形式。如用以副助词表示例示,相当于“…でも”“…だけでも”。例如:②見かけたときに声をかけるなりとしておけばよかった。(松村明)用以并列助词,表示任意选择,相当于“或……或……”例如:③3るなりと泊まるなりとお好きなように。(松村明)也见于“なり”的形式。例如:④困った は親なり先生なり相談しなさい。(新村出)4 连体形“なる”构成连体修饰语,表示同位语。例如:①ある女房の遠江の子なる人をかたらひてあるが、/现代文译文:ある女房が遠江の守の息子である男とねんごろになっているが、(上坂信男2017:283)表示存在,这一意思由“にあり”的原义而来,“にあり”的本义是表示存在的意思。②この西なる家は何人の住むぞ、問ひ聞きたりや。/现代文译文:この西にある家にはどんな人が住んでいるのか、聞いたことはないか。(保坂弘司1970:99)表示称呼、资格等意,相当于“…という”。这一用法主要见于江户以后,认为出自汉 ,日语毕业论文,日语论文 |