日本の社会は建前と本音がある,人々がそう感じ始めた辺りから、要するに何を言いたいのかよく解らない、話し手には責任がなく、伝えるべき意味を聞き手の自己責任で解釈させることを目的とする話法が台頭し始めたのではないだろうかと思っている。
もう一つは、日本語は世界の言語の中で難しい言語だから外国人がうまく話せるわけはないという誤った認識による意識だ, 日本語にも文法書などに記述されていない言語外の約束事がいろいろある,これで曖昧といわれてもわからないような気がする,どうやら,同様の発想により「お口に合うかどうか、分かりませんが」とか、「ほんのお口汚しですが」あるいは「粗茶ですが」などと言って食べ物やお茶を客に勧めることもある,」「もっと気をつければよかったと思うと、くやしい」などの用例ができる,この和を保つためには、私的な感情を表面に出さず、原則である「建前」でコミュニケーションすることが必要になるわけである, 以下、日本語の「曖昧」特性と思われるものをいくつかピックアップしてみよう。 「どうも」は万能用語ということもある,たいていは、相手とのかかわりや状況などで「どれ」とわかる場合が多いのだが、たまに、まったく違う話をしていたということもある,そこでは、日本人の心理には次の二つの意識が隠されていると考えられる,このような場合、相手が自分のために余分な時間を費やすことに対する感謝の気持ちを表すのである,もしその客が外国人だったら、戸惑った表情になったのではないだろう,。 |