本节においては、主体が非情物である场合に、动词の意志性、主体性、事态の性质という3つの要因がいかに総合的に影响して自动词の可能表现に反映しているかを考察することによって、自动词と可能の(ら)れる」、「ことができる」との共起条件を明らかにしたい. (6)a.この车は时速100キロで走れる. b.この车は时速100キロで走ることができる. このような场合を除けば、非情物に関する表现に用いられる自动词はすべて「非自己制御性を持つ无意志自动词」であると考えられる. まず、生物の本来的性质を表す场合について见てみよう. (7)a.温帯性の植物である桜は亜热帯地域では気温が20度を少し下回ってようやく咲ける. b.温帯性の植物である桜は亜热帯地域では気温が20度を少し下回ってようやく咲くことができる. (8)a.永久歯が生えてくる7,8歳顷になると歯ぐきの切れていた所に骨を移植して前歯がきれいに生えられるよう、歯ぐきの形を整えます. b.永久歯が生えてくる7,8歳顷になると歯ぐきの切れていた所に骨を移植して前歯がきれいに生えることができるよう、歯ぐきの形を整えます. また、次の(9)のような、望ましいかどうかを判断しがたく、评価を伴わない本来的性质について客観的に叙述する场合も、主体性の働きにより、无意志自动词は「ことができる」を用いて可能を表すことも可能である. (9)a.本来コレステロールは油の一种であり、それだけでは水を主成分とする血液中に溶けられないので、血液中ではリポ·タンパクという特殊なタンパク质と结合して存在します. b.本来コレステロールは油の一种であり、それだけでは水を主成分とする血液中に溶けることはできないので、血液中ではリポ·タンパクという特殊なタンパク质と结合して存在します. 一方、事物の本来的性质を表さない场合、あるいは、事物のマイナスの本来的性质を表す场合、无意志自动词は可能表现にならない. (10)a.包丁はずっと使わなければ锖びられる. b.包丁はずっと使わなければ锖びることができる. 以上で考察してきたように、主体が非情物である场合、自动词は「(ら)れる」を用いて可能を表しにくい.そして、事物の非マイナスの意味を含む本来的性质について叙述する场合には、「ことができる」と共起しやすくなる.この结果は次页の表Ⅰのように示すことができる. そして、无意志自动词と「ことができる」との共起と、それに関わる事物の本来的性质、事态の性质という2つの要因との関系は、次の図Ⅲのように简略に示すことができる. まとめ 本稿では、主体が非情物である场合、动词の意志性、主体性、事态の性质という3つの要因が具体的にいかに自动词の可能表现に関わっているのかを略论することにより、自动词はいかなる条件下で、可能の両形式「(ら)れる」、「ことができる」と共起できるのか、という问题について考察してきた.その结果は次のようにまとめることができる. 1)非情物の可能表现は非情物の本来的性质に関する可能を表す倾向がある. 2)非情物のプラスの本来的性质を表す自动词は、可能表现に用いられやすい.一方、マイナスの本来的性质を表す自动词と、本来的性质を表さない自动词は可能表现に用いられにくい. 3)「(ら)れる」よりも、「ことができる」のほうが非情物の可能表现に用いられやすい. 注 |