1)宫岛(1972:422)は、「<有情物>というのは、つまりほとんどは人间だが、动物も、感情や理性をもったものとしてあつかうばあいには、ここにはいる」と述べている.そして、藤井(1971)、青木(1980)、金子(1980)、渋谷(1986)、森田(1987)なども、人またはその他の动物を有情物とし、それ以外を非情物としている.本稿はこれらの探讨に従う. 2)本稿では、「なぜお日様はいつも早く起きられるのだろう.」のような、非情物が拟人化されている场合の可能表现を考察の対象外とする. 3)藤井(1971)、青木(1980)などは非情物も可能表现になり得るとするが、そのほとんどは、「~し得る」の形に限られると主张している.「得る」は「文章语的なニュアンスを持つ」(渋谷1986)ため、本稿では探讨対象としない. 4)「动きの主体が,动きの発生·遂行·达成を自分の意志でもって制御することができる,といった性质である」(仁田1991:243). 参考文献 青木ひろみ(1997)「自动词における?可能?の表现形式と意味―コトロールの概念と主体の意志性―」,『日本语教学』93号,日本语教学学会,pp.97-107 青木伶子(1980)『国语学大事典』,国语学会编,东京堂出版,pp.169-171 藤井正(1971)「可能」,『日本文法大辞典』,松村明编,明治书院,pp.124-126宫岛达夫(1972)『动词の意味?用法の记述的探讨』,国立国语探讨所,秀英出版 森田良行(1987)『角川小辞典7基础日本语Ⅰ』,角川书店,pp.309-479 吕雷宁(2017)『现代日本语における可能表现に関する探讨―无意志自动词を中心に』,名古屋学院 ,日语毕业论文,日语毕业论文,日语论文 |