こういう点では、『红楼梦』もそういう共通点を持っている.十八世纪の封建社会の末期、伪りの封建礼教と女性に求められた封建的な基准道徳――三従と四徳の圧迫下、纯洁な心と爱情、花も耻ずかしいほど美貌をもっている少女たちが惨めな运命から逃されない.花と名着から出た女性たちは、同様に美しくて、最後に悲剧になってしまった.紫式部と曹雪芹はそういう点を见て、女性を花に譬えた.花のように美しい女性たちは花のように萎れて悲剧になってしまった运命から逃されないことを表现したがると思う. 第二、中日艺术伝统の共通点はもう一つの原因である.中国では、花艺术は古代から今まで続いてくる.花に関しての记载は、中国の商の时代の甲骨文に现れた.戦国时代、孔子は「兰は花王にあたり」と言った.隋唐宋时代、中国の花艺术は非常に盛んになって、花に関する文学著作もいっぱいであった今になって、多くの中国人が花を育てることも、花で部屋を饰ることも、中国の花艺术はもっと盛んになって、もう生活の各方面に染み込んだ证拠である. それでは、日本のほうへ见よう.「日本艺术の形态は植物の美学に支えられてきた.日本人にとって言えば、自然は神様である.生活には自然という神様がなくては、生活にならない.さらに言えば、日本の歴史もないという.」ある日本学者はそう述べた.もちろん、木は古代ではもっとも体表的な物象で、古代の日本人の自然観の基础にされた.しかし、木と花は切ても切れない関系をもっている.相当の植物にとっては、その植物は木だけではなく、花である.そして、花は元来大自然の中で不可欠の部分である.日本人にとって、花?书?茶は「日本伝统美の三重奏」といわれる.平安时代まで长い间日本人の心に根差した日本人の原始的な自然観そこから生まれた审美観から见れば、花も日本人にとって一つの伝统美であると言えよう. 要するに、花は中国人にとっても、日本人にとっても、ひとつの伝统美である.それは、中日伝统艺术が花に対しての共通点である. 3 二名着における美人を花に譬える例の相违点とその原因 3.1 相违点 第二章に述べたように、『源氏物语』と『红楼梦』を対照して见れば、二つの名着とも花に托して女性形象を描写した.それは共通点である.しかし、人は共通点を探し出すだけに満足すべきではなく、共通点の里に隠していた相违点を発现すべきである.なぜかというと、相违点を通してこそ、中日间の文学と艺术の违いを発现できる. その一、『源氏物语』は女性を花に譬えた场合、ある花を见つけて、後で登场する女性をその花に譬えた.あるいは、その女性の姿によってそれと相応する花を选んでその花に譬えて、女性の名も花の名で命名したまでである.すなわち、作者は女性を花に譬えた目标は女性の姿を强调しようである.それにたいして、『红楼梦』はひとつの女性に対応する花を选択する时、重点は女性の姿に置いたのではなく、女性の性格、気质、运命に置いた.言い换えれば、强调する対象は违っている. それでは、その现象の例を见てみよう.紫の上は登场する时、源氏は下痢にかかって、北山の某という寺へいこうとして、これは三月の三十日だったので、京の桜はもう散っていたが、途中の花はまだ盛りのに気づいた.そして、後で登场する紫の上を桜に譬えた. 源氏は「咲く花に移るてふ名はつつめども折らで过ぎうき今朝の朝顔.どうすればいい」を言った时、六条の贵女を名花に、中将を朝顔に譬えた. 『红楼梦』で、曹雪芹は黛玉を芙蓉に譬えた.芙蓉は古代から中国の人々にほかの花と比べると比べられない纯洁美をもっている.それは视覚上のイメージである.品质上では、身を清く保ち、悪に染まらないということである.また、中国人は美人を形容する时、よく「出水芙蓉」という言叶をよく使う.要するに、芙蓉は中国人の人々の心の中でもっともいい评判のある花だといえよう.黛玉は芙蓉のような身を清く保ち、悪に染まらないという品质を持っている. |