本論文では現実的な受難の苦しみが在日韓国人文学と濟州島文学にとって、触媒の役割になっているという共通点に注目した。両文学の特徴をともに備えて...
本論文では現実的な受難の苦しみが在日韓国人文学と濟州島文学にとって、触媒の役割になっているという共通点に注目した。両文学の特徴をともに備えている代表的な作家が金石範である。金石範の著作について文学と現実の呼応関係について考察してみた。
初期の日本語での創作活動から彼は濟州島4ㆍ3事件をテーマにした民衆、民族文学を執筆しはじめた。韓国語での創作活動においては、社会主義的イデオロギーを持ち、革命の意識が高まっている。後期の日本語での創作活動では登場人物が有機的につながりながら疎外と受難の現実を乗り越えている。金石範は「鴉の死」から『火山島』へ展開しながら均衡の取れた民族文学として発展をなしている。
金石範は韓日の境界人としての無国籍の人生から引き起された自分自身のアイデンティティの問題を乗り越えようとした。それで、回復されてない濟州島4ㆍ3事件に関心を傾けて、真実の立証をしようとした。金石範の民衆、民族文学はリアリズムで屈折された現実を書いてあり、歴史の真相を窮めようとしたのである。
金石範の著作で見られる、彼の歴史の認識はどういうものであろうか。それは解放の混乱期で引き起こされた濟州島民の受難史であり、民衆解放運動である。作家は在日という自分の立場から感じられる日本社会からの疎外感と我が国における陸地からの疎外地点の濟州島を一直線上に置いてみている。
まだ完全に解決されてない濟州島4ㆍ3事件についての正しい解釈のために、金石範の文学的な意図を理解すべきである。そして金石範文学の現代史的意味を考えて、韓日文学史での位置付けをもう一度考えなければならないだろう。
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