本論文では、日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」を文化との関わりを中心に対照考察し、日・韓両言語の根本に潜んでいる発想やものの捉え...
本論文では、日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」を文化との関わりを中心に対照考察し、日・韓両言語の根本に潜んでいる発想やものの捉え方、そして対人関係及び共同体の意識を明らかにしようとした。「飲·食に関する慣用表現」を研究の対象にした背景は、「飲」と「食」は、人間が命を保つためには一日も欠かせない大切なものであり、「生計を立てる」すなわち、生き続ける為の手段と関わりを持つ表現であるため、その民族の根本的発想を窺うことができるということである。その上、食の文化とも深く関わっているため、その国の歴史を始め文化や風土の影響による特徴を知ることが出来るし、「飲」と「食」とは普通一人で営むことではなく、家族や親しい間柄同士で行うことが多いため、人間関係に関わる考え方や民族独特の共同体意識も知ることができる。
対照研究のための慣用表現は、日本語の場合は、佐藤理史と宮地裕(2006)による「円滑なコミュニケーションのための言語処理基盤に関する基礎研究」の慣用表現を基にし、韓国語の場合は、문금현(1997)などの資料を基にした上、慣用句辞典や国語辞典から慣用表現を補った。収集した日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」の総現れ数は日本語が224例、韓国語が184例であって、日本語の方が韓国語より多く現れた。
考察のカテゴリーとして、一次的に、「飲料部」「主食料部」「副食料部」の三つに大きく分け、二次的に「飲料部」を素材別に「水/물」「茶/차」「酒/술」とにし、そして「主食料部」は「飯/밥」と「餅/떡」、「粥/죽」「そば/국수」とに分類した。「副食料部」は素材が多いため「魚類」「肉類」「野菜·穀類」の三つに分けた。三次的には慣用表現の意味を略论し、「心理に関する表現」「態度·行動に関する表現」「状況·状態に関する表現」の三つに分類し対照考察を行った。四次的には、考察の便宜を図るため、慣用表現を意味によって「日·韓両言語の共通表現」、「日本語のみの表現」、「韓国語のみの表現」とに分けて考察した。下位カテゴリーとして、慣用表現の意味別にまとめ、提示した。さらに備考欄では素材の意味を示した。(ただし、素材の意味がはっきりしない場合は ー で示した)
まず、収集した日・韓両言語の「飲·食に関する慣用表現」の総数と素材別慣用表現の現れ数、そして順位を【表】で表すと、次のようである。
【表】で分かるように日本語の場合は、「水」と「魚類」そして「茶」と「酒」に関する慣用表現が韓国語よりもっとも多いところが特徴である。また「餅」と「飯」関連慣用表現が韓国語より少なく6位、7位の15例,韩语论文,14例に過ぎないことも特徴と言える。これに対し韓国語の場合は、「야채류」に関する慣用表現が一番多く、「밥」「떡」「죽」関連慣用表現が日本語より多い。ただし、「野菜類」の場合は、日・韓両言語において大差なく、「肉類」は両言語ともに慣用表現が発達していない。
細部の考察として、「飲料部」の日・韓両言語の慣用表現は「態度·行動に関する表現」にもっとも多く用いられている点と素材の表す基本的な意味は「心理に関する表現」から見られる点は共通であった。また、「飲料部」の「水/물」の項目をみると、日本語の「水」は「ありがたいもの」というイメージがあり、慣用表現では「水」は「他人」を表したり、「新しい職場・自分を取り巻く環境」を表している。その反面、韓国語の「물」には「つまらないもの」「ありふれたもの」というイメージがあり、慣用表現では「ばかにする」や「つまらない」という意味によく用いられている。しかし、水の性質(「流れる」「冷たい」「魚の生きる場所」)からの表現は日·韓両言語に共通点が多い。「水も漏らさない/물 샐 틈 없다」「水をかける/찬 물 끼얹다」の「防御と妨害」や「水を得た魚のよう/물 만난 고기」のように「生き生きとした働きぶり」を表す表現などがそれである。素材となる「水/물」の慣用表現のイメージは、日·韓両言語ともに異質感・邪魔・見栄・水商売などのマイナスイメージが強いと言える。相違点は日本語の場合、「水」は「水に慣れる」、「板に水」、「魚心あれば水心」、「水の滴るよう」(環境・流暢・愛情・美貌)などプラス的イメージの表現に多く用いられていることである。また、宗教から生まれた表現の「水を向ける」と「行水」、相撲からの「力水」、そして、水中競技からの「水をあける」など文化の影響を強く受けていることを改めて確認できた。その他、共通表現である「むだづかい」を表す場合、日本語は「湯水」を、韓国語は「水」を用いている。このことは日本は温泉が多く「湯水が豊富」な温泉文化に由来していると言える。また、韓国語の「물」の場合は、「물로 보다」「물 먹다」「물 태우/물 방망이」のように「脆い」水の性質を比喩した表現を用い、「馬鹿にする・やられる・優柔不断」などの意味に用いられることに特徴がある。
「茶/차」の場合、韓国語の「차」はほとんど慣用表現には用いられていないのに対し、日本語の「茶」は慣用表現に多く用いられている。これは日本語の「茶」関連慣用表現の特徴だと言えるだろう。そして「茶」関連慣用表現は、歌舞伎や能の幕間に行われた茶番劇(茶番狂言)などの伝統文化の陰から生まれたため(「お茶を濁す」も茶道ではなく茶番劇からの説がある。)「茶化す」「茶番(狂言)」「茶にする」「茶を挽く」「茶々を入れる」「お茶の子」など、「はぐらかす・ばかにする・暇を持て余す・話のじゃまをする・たやすくできる」を意味するなどマイナスイメージが強い。また、「茶腹も一時」や「番茶も出花」のように慣用表現の意味がプラスであっても「茶」は「たいしたものではない・つまらないもの」の意味を表すマイナスイメージとして用いられている。すなわち、韓国語の「물」のイメージと日本語の「茶」のイメージに似通ったイメージがあることが分かる。
「酒/술」は日本語の場合、「酒」は「茶」とは対照的なイメージを見せている。「酒」は「有りがたいもの」の意味があり、「盃をする」「盃をもらう」「盃を返す」のように儀式化という特徴の表現や「はしご酒」「迎え酒」「下戸」などの単なる比喩としての表現が多い。一方、韓国語の「술」を用いた慣用表現はマイナスイメージが強く、特に「盃を交わす」ことを意味する「수작(酬酌)을 부리다」の場合は日本語の「盃を返す」と動作は似てはいるものの、意味は「陰謀を図る・下手に企む・何かを密かに仕掛ける」の意味で用いられ、マイナスイメージが非常に強いのが特徴である。
「主食類部」の「飯/밥」に関する日・韓両言語の慣用表現の共通点は、「飯/밥」が「仕事」や「生計を立てること」、そして「苦しい境遇」を表すことからも分かるように「状況·状態に関する表現」が発達している。ただし、日本語の場合は「すし詰め」のようにマイナスイメージの表現もみられるが、他人に対する非難の意味はない。また、食文化の違いから「手弁当」と「밥통」の意味のずれが生じる。日本語の「手弁当」は、自分で弁当を作って持参する習慣から、「無報酬で働く・自腹をきる」の意味に転じたと見られる。一方韓国語の「밥통」の場合は「馬鹿」を意味したり、長い間の食糧難で苦しんだ経験から「밥통」「밥그릇」「철밥통」のように「仕事を表す俗語」や「仕事(飯の種)をめぐる争いや終身雇用を皮肉っぽく表す」といった極端的なマイナスイメージにまで派生している。さらに、日本語の「飯」とは違って、韓国語の「(내)밥이다」が「弱くて扱いやすい相手」を意味するところも韓国語の特徴である。
「餅/떡」を用いた表現は、「餅/떡」の元の意味が「めでたいもの、とても大切なもの」であるため、お祝いのための表現が日·韓両言語に発達している。さらに「餅代/떡값」の意味が「ボーナス」や「賄賂」の意味に派生した点と、「棚からぼた餅/굴러들어 온 떡」のように「思いがけない幸運」を意味する表現や「絵に描いた餅/그림의 떡」のように「欲しいけれど手の届かないものや人」を表す表現も共通している。しかし、日本語の「餅」は、「専門家」を表す「餅は餅屋」や美肌を表す「餅肌」などのプラスのイメージを持つ表現が主であるのに対し、韓国語の「떡」は「찰떡궁합」のように一部の表現を除けば「떡 주무르듯 하다」「떡 되다」など、マイナスイメージが非常に強い。その他、日本語の「餅」の場合は、視覚からの比喩が多いが、韓国語の「떡」は「よくくっつく性質」の感覚的で触覚による表現が多いという特徴がある。
「粥/죽」の日・韓両言語の慣用表現をみると、日本語の「粥」は「七草粥」と「小豆粥」のみで、「健康」と「幸せな一年」を祈る意味(正月七日に食べる)に止まっている反面、韓国語の「죽」の場合は「동지팥죽」を除けばほとんど類似点がない。「동지팥죽」の場合、食べる時期こそ日本語の「小豆粥」とは違う(12月22日頃)が、意味は同じである。しかし、韓国語の「죽」には「보리죽」「곤죽」「죽사발」などのように「貧しさ」を表したり、「죽」の形のように「酒に酔いつぶれる様」とか「ひどく殴られて倒れる」のようなマイナス的な意味を強く表している。
日・韓両言語の「年越しそば/국수를 먹다」の場合、「長く、健康で、幸せに」という意味は共通しているし、この意味は中国から伝わったものである。しかし、日本の「年越しそば」は、大みそかの夜、家族が揃って「来年も良い年でありますよう」と祈りを込めて食べるものであるが、韓国語の「국수를 먹다」は、結婚式で新婚の夫婦が「これから長く、幸せでいられますよう」という意味で食べることに違いが見られる。
「副食料部」の中の「魚類に関する慣用表現」を見ると、次のような結果になった。魚類に関する慣用表現の場合、日本語の慣用表現の現れ数は52例で韓国語は21例だった。また、日本語の素材は19種、韓国語は10種で、日本語の方がもっとも豊富(韓国語より約2.5倍)であった。魚類に関する慣用表現の場合、両言語ともに「心理に関する表現」が発達しているが、日本語は特に心理描写、主に教訓的な表現に大いに関わっていた。「魚」と「水」の関係を比喩する表現は、日・韓両言語の共通表現が見られた。日本語の「美味しく貴重な存在」を表す「鯛」も特徴的であるが、より特徴的な素材は「鯉」である。「鯉」は中国の故事の「登竜門」から「力強く、潔い」というイメージが伝わり、日本の「武士道」と結び付いて、「鯉の滝登り」から「鯉のぼり」、そして「まな板の上の鯉」に至っている。「釜中の魚」とは違い、自分が危機に晒されていることを充分承知しながらも、じたばたせず、潔く運命を受け入れ、運命に立ち向かうという意味に転じている。そして、「柳の下に二匹目の泥鰌はおらぬ」のような教訓的な表現や「ごり押し」「鯖を読む」「にべもない」のような魚の捕り方や数え方、性質を単に比喩した表現が多い。「貴重な存在」として日本語は「鯉」と「鯛」、韓国語は「준치」と「숭어」が使われている。その反面、「つまらないもの」に日本語は「泥鰌」「鰯」「さば」が用いられ、韓国語は「망둥이」「미꾸라지」「꼴뚜기」が使われている。韓国語の「魚類」に関する慣用表現の中で「美味しく貴重な存在」としては「준치」と「숭어」が使われているが、普段の生活でのイメージとは結び付かない。韓国語の特徴的素材は「미꾸라지」と「꼴뚜기」である。「미꾸라지」はつるつるした外見から「なかなか捕まらない・よく逃げ回る・ずるくて憎い」という意味がある。日本語の「泥鰌」には「つまらないもの」の意味はあるが、「野田内閣」を「泥鰌内閣」と自称するように韓国語のようなマイナスイメージは見当たらない。このように韓国語の「魚類に関する慣用表現」では「非難」や「批判性」のような強い表現が発達している。
「肉類に関する慣用表現」場合、日・韓両言語ともに発達していない。肉料理が盛んである韓国語の方も慣用表現が九つに止まっている。特に日本は殺生を禁止する仏教の影響と、島国という環境の影響で「魚類」に比べ「肉類」は極段に少ない。韓国語の場合、マイナスのイメージの強い表現が多いが、その強さは日本語よりも極端的で、特に「골탕을 먹다」には「やられた」という強い気持ちの現れで相手への非難性を帯びている。日本語の場合はマイナスイメージの強くない表現がほとんどであるが、「肉類」関連慣用表現からは珍しくマイナスイメージの強い表現が見られる。そのなかでも「鴨だ」と「鴨がネギを背負ってくる」のように、韓国語の「봉」と「밥이다」と意味の似ている表現や「骨までしゃぶる/등골을 빼먹다」のようなマイナスのイメージの強い表現がみられる。
「野菜·穀類に関する慣用表現」は慣用表現の現れ数からみると、日本語40例、韓国語43例で大差ない。ところが、素材の面では、日・韓両言語の共通の素材が8種、日本語のみのものが8種、韓国語のみのものが16種見られように、日本語より韓国語の方が素材が多様であり、豊富であった。特に目立った素材は「豆」と「콩(땅콩)」で、「豆」と「콩」を用いた慣用表現がそれぞれ10例以上見られる。韓国語の特徴は「호박/콩나물」で、「호박」は単独では「ぶす」という意味で使われるが、「호박이 넝쿨 채 들어오다」では「餅/떡」のように「幸運」を表す。一方、「콩나물」は日本語の「すし詰め」や「芋を洗うよう」と類似した意味と「音符」という固有の意味を持っている。また、慣用表現の現れ数は「状況・状態に関する表現〉行動・態度に関する表現〉心理に関する表現」の順であって、「野菜·穀類に関する慣用表現」は野菜類の性質による「状況・状態に関する表現」と多く関わっていた。そして、日本語の方は「ゴマをする」や「瓜二つ」のように目に見える現象をそのまま比喩に使う「視覚中心」の表現が多いのに対し、韓国語はある物事からの感じを比喩にした「感覚中心」の表現が多かった。また、国民の性格を表す表現として、日本語は「火中の栗を拾う」のように「無理を承知で自己犠牲的なこどをする」を表す表現が見られたが、韓国語は、「번갯불에 콩 볶아 먹다」や「남의 제사상에 밤 놔라 대추 놔라 하다」のような「せっかち・おせっかい」を表す表現が多かった。もう一つの特徴として、韓国語の場合は「보릿고개」「보리죽」「목구멍이 포도청」のように長い間苦しんできた食糧難から生まれた表現がいくつもあるのに対し、日本語にはこのような表現は見当たらなかった。日本の場合は海産物を多くお数に使っていたため、慣用表現に使われる野菜や穀類の素材は、韓国語より豊富でなかったようである。その反面、韓国の場合は食糧不足に苦しんだ歴史的背景から貧しさを表す表現が発達したと考えられる。
以上、韓国語の「飲」と「食」に関する慣用表現の特徴の背景として、まず「물」を「ありふれたもの」として認識し、形が定まらないことから「もろい・よわい人」を連想していることがあげられる。また、「밥」に関しては、客のもてなし方はまず「質」より「量」が重要視されていた。これは「膳の足が折れるようにいっぱい料理を出す(상다리가 부러지게 차리다)」という表現からも窺うことができる。いくら美味しいものを出しても量が少なければ、腹を空かせ、礼儀に欠けるとされていたことから「차」のもてなしは発達しなかった。その上、長い間、戦争や飢饉などで苦しんだ歴史の背景により、他人から自分の「밥통」や「밥그릇」を守らなければならなかったことから、「밥그릇 싸움」という表現が生まれたと思われる。自分の「밥그릇」とは違って、「他人」の安定した仕事を妬み、公務員のように「定年が保証される安全な職場」を皮肉っぽく言う「철밥통」という表現を産み出したように「他人」は競争相手だという認識があったようである。このような日本との相違点を産み出した要因として、客に対するもてなし方、それから仏教の衰退や文化生活との接触の機会の有無、食糧難などが挙げられる。
日本語の「飲」と「食」に関する慣用表現の特徴の背景として、自然に湧いてくる温泉の湯とは違い、「水」は「天からの貰い物」すなわち、大事にしなくてはならないものであるという考えが挙げられる。「茶」や「飯」の場合は、家を訪ねてきた客には茶と茶菓子を出すのは当たり前で、食事を共にするのは親しい間柄同士であることを示していた。また、「水」関連慣用表現には宗教の影響が見られるが、特に「副食料部」仏教の教えにより肉料理を好まなくなり、魚や野菜本位の食事を重んじ、仏教などの修業の一貫として茶を飲んだのが、茶道として一般庶民までが茶を楽しむようになった。さらに、江戸時代の250年間の平和な時代を通じ、庶民文化の発達で歌舞伎などの舞台芸術や相撲などに接する機会が多くなっていくと、このような舞台を楽しむために弁当やおにぎりを持参するようになった。その他、近代に入り水泳などの水中競技が盛んになってきたことなども日本語の慣用表現を豊かにし、イメージの決め手となったようである。このように、日本語の「飲·食に関する慣用表現」は、「肉類」や「茶」に関する慣用表現からは、マイナスイメージの表現が多くみられるが、全体的には価値観を含まず事実を単に比喩的に使うということにとどまっているケースが多い。また、韓国語の「飲·食に関する慣用表現」は、ある現象に自分の判断や価値観が投入し、他人を非難したり批判する表現が多くみられる。
以上から日・韓両言語の特徴を簡単にまとめると、日本語の表現は「比喩性․視覚性․教訓性․皮肉性․隠密性」だと言え、韓国語の表現は「拡張性(おおげさ)․感覚(触覚・嗅覚)性․非難性・批評性․皮肉性․露骨性」だと言える。
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